2019年の元旦新聞読み比べ

元旦の新聞読み比べを毎年の恒例にしています。

前年の振り返りと、次の一年の展望を各紙が論じる紙面構成で、社会の傾向をつかむのに丁度よいと感じます。

普段テレビや新聞をみない生活をしているので、一年に一度はニュースをしっかり読もうという意図で始めた習慣です。でも実は、去年から毎日新聞の購読を始めました。なので、今年の元旦はこの習慣を止めてもいいか、と思ったのですが何となく続行。

さて、2019年元旦号の各紙を読み比べてみると、AIや移民問題など扱われていましたが、それぞれのテーマがバラバラで、傾向はつかめず。又、各紙とも平成の振り返りをしていましたが、平成はまだ終わったわけではなく、振りきれていない半端さがありました。

この半端な感じ、つかみどころのなさが、ある意味で平成時代の特徴だったのかもしれません。

とくに印象に残ったのは、朝日新聞の記事でした。

霞が関で残業200時間「死にたい」の先、肌にあう仕事

https://www.asahi.com/sp/articles/ASLDP7VJDLDPULFA05D.html?iref=sptop_favorite_01

農水省の激務で心身を病んで休職された女性が、復帰後に働き方を見直した話しです。現場に近い仕事になって調子が戻り、自主勉強会を始めると好評。霞ヶ関で以前は理解されなかった働き方が、いまは認められるようになっている。

中央官庁ほか、新聞社や広告代理店で似た働き方をした方の本を読んだばかりでした。体調を崩すほどの長時間労働は、もう止めた方がいいと思うのです。

働き方の見直しにつながる話題で、日経新聞の記事も興味深かったです。

そのハンコ、必要ですか? カイゼンお役所仕事

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39460290X21C18A2SHA000/

ハンコ決裁の書類で代表されるように、もはや不要となりつつも慣例で続いていることが結構あります。平成のうちにリセットできなかった昭和時代の名残を、次の時代にはクリアできたらいいと思います。

記事にあった千葉市の事例で、市長がハンコ書類を減らすと告げたらハンコ業者から猛反発に遭った話がリアルでした。既得権を引き剥がす仕事は困難が伴います。それをやりきれなかったのが平成という「失われた30年」だったと思いました。

元旦の新聞をコンビニで買いにいくついでに、鎌倉の鶴岡八幡宮へ初詣しました。すごい人盛りでした。初詣はリセットされずに続いています。

一方、私の友人で年賀状やめる宣言をした方が多く、実際とどいた年賀状は例年の半分以下でした。かくいう私も、年内に年賀状を出しておらず。数年前からお歳暮も届きません。

合理性の判断で消えていく慣習と、初詣のように続く風習。その差は何だろう?と考えたりします。

続いている理由は惰性でしょうか。縁起物などメリットありと思うものは続くのでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA