雨の降る朝。小学校は新年度に入ったばかり。一年生はまだ緊張した表情です。
小学校前の横断歩道その他の要所で、地域の方々が登下校の交通安全見守りをしてくださっています。
頭がさがる思いです。
私も校門の前で立つことにしました。PTA会長だから始めた、というわけではありません。
ファザーリングの仲間で毎朝、交差点に立って子どもたちと挨拶を交わしている人物がいます。
その姿に憧れて、私もいつか始めようと思っていました。いつかが今きました。
自分が好きで始めたことなので、挨拶運動が善意の押し付けにならないように気をつけます。
尾木直樹・木村泰子著『「みんなの学校」から「みんなの社会へ」』(岩波ブックレット)を読み、自戒しながら次回も立ちます。
以下、引用です。
木村 「あいさつ運動」は何のためにするのか、きちんと説明できる大人が一体どのくらいいるでしょうか。大人だって「おはよう」と言いたくない日くらいあるじゃないですか。子どもはみんな元気よく「おはよう」って登校するのが普通だという前提があるから、あいさつできる子はマル、できない子はバツという評価につながるのです。
(中略)尾木 あいさつを強要すると、先生は本当の子どもの姿が見えなくなってしまいます。「運動」として押し付けることで、その子のその日の体調や気持ち、周囲のことが見えにくくなるおそれがありますよね。子どもと先生の関係を断ち切ってしまうのが「あいさつ運動」の本質なのです。
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