追いつけないレベルの講義〜片岡鶴太郎さんの新書オススメです。

大学院の授業で紹介された参考図書を購読。いままで読まなかったタイプの、厚めの本が集まっています。本日、ジュンク堂で1万円使いました。

さて、本代の話しから本題へ。

今夜の中村陽一先生「社会デザイン学への招待」の講義はレベルが高く、半分以上、否、ほとんどの内容に付いていけなかった。。

興味がない分野ならともかく、関心のあるテーマでありながら、名前のあがる学者でフロム,オルテガ,トクヴィル,リースマンといった基礎知識が足りず、理解が追いつけなかった。

でも、それで丁度いい。中村先生の言われるように、何事もバランスとタイミング。自分に敵わない世界があり、未知の領域が沢山あると知ることで、かえってバランスが良くなった感あり。中村先生の講義に伴走できることを目標に、もっと勉強しなくちゃ。あと何年で到達できるかな。

また、講義で時折、いまの仕事で抱えている課題のヒントがあって「社会運動論で捉えるとこうなるのか!」といった発見あり。具体的には70代以上男性のコミュニケーションスタイルと、その適切な対応について。終了後に先生へ尋ねると「アラン・トゥレーヌを是非」と勧められました。学ぶべきテーマがますます広がる。

帰りの電車で読んだのは片岡鶴太郎さん『50代から本気で遊べば人生は愉しくなる』。

鶴太郎さんの自伝であり、生き方論。想定する読者ターゲットに向けて一番の肝になると思われる文章を転記。

私自身の肝、最終的に何を求めているのかというと、ずばり”魂の歓喜”です。
こういうと、何やら大げさに聞こえるかもしれませんが、とても単純なこと。自分が喜ぶかどうか、楽しいかどうかです。

世間一般の価値観なんて一切無関係。社会的に尊敬されるとかお金が儲かるとか、そうしたこともまったく関係ありません。ただ、自分の魂が歓喜しているかどうかが、これまでの私の人生を方向づけてきました。

私は会社勤めをしたことはありませんが、周りのサラリーマンを見ていると会社の仕事も同じではないかと思います。
社会人として組織に入り、その組織の中で偉くなっても何にもならない。退職して肩書きが外れれば、後には何も残りません。

一時は肩書きや給料の多さで満たされても、結局のところ決して魂は歓喜しません。また、上司に言われて仕方なくする仕事と、情熱を傾けてする仕事のどちらが魂の歓喜につながるかは、言うまでもないことです。

退職した後、やりたいことが見つからずに時間を持て余している人が多いと言われます。もしかするとそれは、これまで魂の歓喜とは無縁のところで人生を送ってきたからかもしれません。

タイトルは「50代から」となっているものの、40歳前後の惑いが大きかったエピソードに響くものあり。そして、小学生で芸能人を志し、20代後半で売れっ子になったサクセスストーリーが一番面白かったです。ひょうきん族のマッチ人気は凄かった。

また、鶴太郎さんは「好きの種を大事にしよう」と繰り返し述べていました。私自身は大学のキャリア講義で「’好きを仕事にしよう!’には反対です。好きを仕事にするには実績と実力が必要だから」と伝えています。好き嫌いで選ぶのは勿体ないとも思うからです。

でも、不惑な40代をすぎたら、好きなことだけやって良いのかも。50代になったら好き三昧な日々を送ろう。

 

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