重松清さんの小説に描かれた「男と女のちがい」の描写に感服

私は自称「男と女のちがい研究家」。男性性と女性性に関する解説書を読み漁ってきました。

私の家庭環境としても、姉二人・妹一人の女家族で育ち、いま妻・娘二人と暮らしており、男女のちがいを感じる場面に多々遭遇します。

又、小中高大学と共学で、7回の転職先も女性が多い職場であり、学歴と職歴でも男女のちがいを観察してきました。

そうした知見と分析をもとに、「男と女のちがい」をプログラムにしたセミナーを時々します。子育て講座でも「パパとママのちがい」の話題をよくします。

そうしたなか、重松清さんの小説『幼な子 われらに生まれ』を読んでいると、離婚した元夫と元妻のやりとりで「男と女のちがい」を鮮やかに描写した文章に出会いました。参りました!と感服しました。

幼な子われらに生まれ (幻冬舎文庫)

「・・訊かないのね」

「なにが?」

「いまの私の気持ち。旦那がガンで入院してるときに、前の旦那と九年ぶりに会ってる気持ち。全然興味ない?」

「そういうわけじゃないけどさ、でも、そんなこと・・」

「昔からよ。あなた、理由は訊くくせに、気持ちは訊かないの」

「そうだっけ」

「うん。ずっと、そう。沙織の前の赤ちゃん堕ろしたときも、なんで堕ろした、なんで俺に相談しなかった、なんで仕事のほうを選んだんだ、なんで家庭に入らないんだ・・理由ばっかり訊いて、産婦人科に行ったときどんな気持ちだった、一人で決めたときどんな気持ちだった、そういうこと、なんにも訊いてくれなかった」

そう、男性は「訊く」はしても、「聴く」が得意ではない人が多いのです。

男性は「問題解決」、女性は「共感性」を志向すると言われます。
この小説の描写が、まさに!

私も講座で、よくこんな話をします。

夫婦の会話でアドバイスは不要!

いつも、ハッ!とした顔をする男性がいます。
「俺は、嫁にアドバイスばかりしている・・」と。

講義より、小説の方がスッと伝わると感じました。
私も、重松清さんのような小説を書けたらよいのですが・・

以下、余談。

この1,2年の傾向なのですが、企業研修で「男と女のちがい」のプログラムを行うと、上手くハマらないことが出てきました。なので、最近はこのプログラムの研修を積極的に提案していません。

「男女のちがい」のプログラムが企業研修でハマらなくなった、考えられる理由は二つあります。一つは、女性が職場で「男性化」していること。

企業のほとんどが男性優先のルールで動いているなかで、男性社会のしきたりを身につけたうえで活躍する女性が増えてきました。女性活躍推進の施策は、男性の働き方に女性をインボルブさせる意図があり、それに応えた女性が「男性化」した模様です。

そして、ロジカルシンキングに強く、成果と効率を重視する女性が増えました。「女性は共感と人間関係を重視する」と講義しても、当てはまらない女性が普通にいて、違和感をおぼえるようになりました。

男と女のちがいがハマらなくなった、もう一つの理由は、若手男性がいわゆる「男性っぽく」なくなったこと。

「男性学」の伊藤公雄先生によれば、男性性には「優越志向・所有志向・権力志向」の3つの志向性があります。企業研修や大学の授業で出会う20代男性の大半は、その三つの志向性が薄いです。(あくまで私の主観にすぎません)

男性性が薄まっている背景に、ジェンダー意識の揺らぎがあります。とりわけ、経済不況と雇用不安により、男性が「稼ぎ手役割」を喪失した影響があります。・・この辺りが私の関心事なので、もっと詳しく調べて又いつか詳述します。

と、あれこれ書きましたが、、

LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の認知が社会で広まるなか、「男だから」「女だから」と固定的に性別を語ること自体が、なんかもう違うよな。

私がそう思ってしまったのが、この研修をやらなくなった一番の理由でした。

ちなみに、こんな文章を書いてみたくなったのは、とんねるずのキャラ「保毛尾田保毛男」が問題視されたと、ネットニュースで見たからなのでした。

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