川嶋直・中野民夫『えんたくん革命』

えんたくん、使いたい。
えんたくんを使ったワークショップに参加してみたい。

一昨年から、福島県の住民協働に関わる自治体の職員を対象に、ファシリテーション能力を養成する講座を担当しています。

わりと控えめな県民性をもつ福島県の方々ですが(質問を求めても手があがることがまずない)、何回も行っているうちに掴む技を心得て、昨日の講座もスタンディング状態で盛り上がりました。

講座は年に数回あるのですが、私自身も研鑽すべく、毎回ファシリテーションや住民協働に関する書籍を買い求め、新なインプットをして臨んでいます。

今回のインプットは丸の内オアゾ丸善で目にした「えんたくん」の本。


(写真はこくちーず「えんたくん革命」出版記念会のサイトより転載)

直径1メートルの段ボールを、ワールドカフェの机代わりに活用します。これは手軽だし、楽しそう。

著者は、川嶋直さん(日本環境教育フォーラム理事長)と、中野民夫さん(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)。

川嶋さんの自己紹介で次の文章がありました。

(清里にあるキープ協会の)清泉寮を会場にして、1987年から毎年、環境教育の全国ミーティングが開催されている。主催するのは現在の公益社団法人日本環境教育フォーラム(JEEF)で、僕はこのミーティングでは総合プロデューサー兼全体進行役のような役割を担っていた。

最初の5年間は「清里環境教育フォーラム」と呼ばれていたが、それ以降は「清里ミーティング」と名付けられて毎年11月に2泊3日で行われている。

実は、私は「清里環境教育フォーラム」と呼ばれた時代に参加しました。大学四年生だったので1992年のはず。直さんと民夫さんのお話しはもちろん当時お聞きしており、強く印象に残っています。

大学に入学してサイクリング部に入り、日本中を自転車で一人旅することに明け暮れていました。北海道から沖縄まで駆け巡った学生生活を過ごし、大学4年生になったとき、ふと「自分一人で楽しむのではなく、何か社会のために行動してみたい」と思うようになりました。

そのとき浮かんだテーマが「環境」でした。当時はバブル絶頂期で日本中がリゾート開発され、絶景だった海岸の景色が翌年にいくと護岸工事されて変わり果てたことがあり、残念な思いをしました。

大阪ボランティア協会を訪ね、環境教育のボランティアを紹介され、そこで出会った人に勧められるがままに清里の合宿ミーティングに参加しました。初めて出会うタイプの大人が沢山いて、えらく感化されました。

かといえ、大学を卒業して環境教育に身を投じるほどの勇気はなく、普通に就職。入社後の数年は社会人ボランティアとして関わりをもち続け、清里ミーティングも数回参加したものの、いつしかサラリーマン社会に揉まれるうちに遠ざかり、忘却の彼方になりました。

それから20数年たっての邂逅。私も白髪のおっさんになり果てました。さて、どうしよう。

中野民夫さんは、私がいま在籍する立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科で講座を持たれています。私は他用と被って履修できず残念断念。

最終章の対談で、中野さんの言葉が響きました。

中野 いまは世界中の知識や情報がネットで得られ、明教授の授業だって動画配信で受けられる。そのような時代に、なぜ学生が時間とお金をかけて、学校が施設を用意して、わざわざ集まって授業を受けるのか、もっと本気で考えないと大学自体の存在価値がなくなってしまいます。先生の話を聴くだけの授業ではなく、対話を通して学び合うことの意味は大きい。

川嶋 たしかに、そういう選択肢がある時代になっています。現在の大学の教室の設計というのは、過去の教育の形に対応したものですよね。

中野 階段教室が典型的ですよね。戦後のベビーブームと進学率の上昇で大学が増えていった時代の、マスプロ教育の名残です。上田紀行さん(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院長)がよくおっしゃっているけれど、

大教室というのは学生が寝ていようが休もうが授業は変わらず、「自分がいてもいなくても世界は変わらない」という暗黙のメッセージを発している。「一人ひとりが大切だ」と標語に掲げても形がともなっていないことになる。

寝ていようが休もうが変わることなく、「自分がいてもいなくても世界は変わらない」と思わされてしまう社内会議。たしかにある。

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