ブライアン・サイモン『お望みなのは、コーヒーですか? -スターバックスからアメリカを知る』

大学院の「サードプレイスへの招待」で紹介された課題図書。

『お望みなのは、コーヒーですか?』というソフトなタイトルとは裏腹に、タイトな内容で読み解くのに時間がかかる本だった。

スターバックスの愛好者で、店舗のリサーチを始めた研究者が、調べていくなかでスターバックスの矛盾に気づき始める。本書では、スターバックスの掲げるメッセージと現実のギャップに関する主張が執拗に展開される。

例えば、ハワード・シュルツが標榜するサードプレイスについて。当初は「スターバックスはほとんど完璧なサードプレイスでしょう」と語った著者であったが、調査が進むにつれて、スターバックスはサードプレイスではないとの結論に達する。

レイ・オルデンバーグが理想としたサード・プレイスとは異なり、スターバックスは激しい政治的な議論の醸成やコミュニティー関係の強化には繋がらないのである。
(中略)

サード・プレイスとスターバックスについて考えることは、分裂し矛盾だらけのアメリカの公共空間の本質と向き合うことを意味する。アメリカ合衆国に住む多くの人々は、公共の場所の重要性を支持するが、それに伴ってプライバシーや一人きりでいる時間を犠牲にするようなリスクを犯したりはしないのだ。(P94)

スターバックスについて語る本だが、著者が伝えたいのは副題の「アメリカを知る」。スターバックスを通じて経済や文化を論じる本ではない。著者の専門はアメリカ史。

巻末の訳者あとがきで、ようやく本書が言わんとするところが分かった。あとがきを先に読めばよかったかも。

では、何について書かれているのか? 窓の外を眺めて少し考えた彼は、人々が政治意識を持ち、政治に関わろうとするプロセスの動向について論じたかったのだと答えた。

サイモンによれば、19世紀の終わりに銀行や鉄道大企業などによる富の独占に対して農民が反旗を翻したポピュリスト運動、人権を蹂躙し尽くしす人種差別体制にアフリカ系アメリカ人らが挑んだ公民権運動、画一的な生活様式や思考を矯正する主流社会に若者たちが対峙した対抗文化運動など、個人が政治に関わる伝統がアメリカにはあった。生きていくなかで経験する疑問や違和感に対して上がる声がつながり、うねりへと化すそのダイナミズムが、アメリカの民主主義と自由の原動力となってきたのである。しかし、この伝統の壊死が、アメリカ人の中核をなす中産階級から進行しているのだ。

何を持って自分を自分と確認するのか? 守るべきもの、伝えていくものとは何か? どうやって公共善への関わりを実感するのか? うねりにつながるこれらの問いに現在答えをくれるのが「買うこと」であり、この文化がかたちとなったのが、他ならぬスターバックスなのだというのが著者の見立てである。

確かさに飢えた、つながりなき世界。でも大丈夫。オーセンティックなドリンクを買うことでホンモノを見分ける能力があることを示し、「サードプレイス」に身をゆだね、歴史やコミュニティーに思いを馳せ、そして個性なき音楽に「ディスカバリー」を感じられるから。エコシステムの崩壊や、貧困など社会問題を見逃すのは困難な時代。これもなんとかなる。再利用素材のペーパーカップやフェアトレード産のコーヒーに公共善へのコミットメントを確信できるから。

しかしここにはうねりは生じない。というのも、レジで終わる脚本通りの行為が、予想をくつがえす形で展開し政治化することはないからだ。(P290)

たしかに、スターバックスでの談義から政治運動が起きることはなさそうだ。

そんなこんなを難しく考えながら、タリーズで一人静かに読み終えました。

 

 

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