父の日は、家族の存在が「当たり前」でないことを思い出す装置として

IMG_1309

今日は父の日。私も父です。今日は娘から絵と、妻から時計のプレゼントがありました。

私の講演は「感謝」についての話しで締めくくることが多いです。
まずは聴衆に、「感謝の反対語」をご存知ですか? と問いかけます。

スクリーンショット 2016-06-19 18.04.39

感謝の反対語は「当たり前」。

ぼくらは「当たり前」と思ってしまうと感謝をしなくなる性質があります。

電気がつくことや家族がいることは、普段は「当たり前」と思っている方がほとんどです。そして日々の生活において、ぼくらは当たり前の事柄に対する感謝を忘れがちです。

「父の日」や「母の日」、そして誕生日は、家族の存在が実は当たり前ではない。という、至極当たり前のことを思い出させる装置として機能しているのだと思います。

プレゼントは記念日に限らず思い立ったときに贈るのでよいと思うし、普段から毎日贈るので構わないはずだよなと思ったり。

父の日、父娘でプールに行きました。娘たちが喜んでいる姿を見るのが、父にとっては何よりのギフトです。

逗子のプールに向かう予定が(市内で流しそうめん大会もやってたし)、「流れるプールにいきたい」と長女がいうので、検索で調べた横浜の屋内プールまで遠出。逗子で流れるプールは当たり前ではありません。

IMG_1308

カメラを向けると笑顔のピースサインしてくれるのが当たり前だった頃の長女の姿は、すでに忘却の彼方へ。次女が当たり前に「パパ抱っこ!」となる日常も間もなく終焉の予感。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA