逗子のことを深く知りたい人の必読書『風土と市民とまちづくり』長島孝一さん新刊

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3月は大学の仕事が多く、東京に通う日が続きます。逗子から都心へ通勤電車の片道1時間、読書で過ごします。大体、一往復で一冊or二冊読みきります。

読む本は、ビジネス書が中心ですが、最近は地方自治に関する本が多くなり。来年度は私のメインテーマにしたいと。

そうしたなか、今年のベスト!という本に出会いました。逗子在住の建築家 長島孝一さんの著書。さらっと読むのが勿体なくて、精読しています。

逗子の原風景と喪失、池子の森を守る市民運動、市民参加のまちづくり等、逗子の移り変わりを紐解く詳述が、逗子で活動する私にとってバイブルのごとく響きました。本書に挿入された昔の地図や写真もピンポイントで刺さります。

本書を知ったきっかけは、先月に私が司会で出番のあった「瓦版フォーラム」に長島さんも参加されていて、終了後に「今度、本を出すから」と、表紙と目次のコピーを頂いたことでした。自分で注文するつもりでいたら市の予算で買ってくれることになり。でも、自分の分を新たに買って、マーカー引きながら読み返したいと思います。

逗子以外の人には興味が薄いところかもしれませんが、ビビッときたフレーズを転記します。

逗子は東京の西南約60キロにあり、いわゆる”湘南”の東端、三浦半島のつけ根にあたる。古都鎌倉と御用邸のある葉山にはさまれたアイデンティーのあやふやなマチだが、かつては避暑地避寒地として人気があり、それなりの風格があった。

アイデンティティーのあやふやなマチ。。言いえて妙すぎる。

戦争勃発頃までは横須賀線の逗子駅に降り立つとたくさんの人力車が待ち受けていた。東京から来てその一台に乗って商店街を通り抜けまっすぐ海に向かうと、両側からトンネル状に松の枝が覆いかぶさり、地元でボサ垣と呼ぶ篠竹の垣根に縁どられた砂地の道に出る。東郷平八郎元帥の逗子別邸の手前、東郷橋から道をまっすぐ海岸に向かうと、人力車の高みから子供にもまぶしく光る海と水平線が見えてくる。そのとき「ああ、逗子に来た」という期待に満ちた実感が湧いたものである。

映画のワンシーンのような情景が脳裏に浮かびました。

新宿浜の別荘は、地元の人たちが津波や台風の直撃を怖れてとても住む気のしない海浜の砂丘の上に開発された。直接海に接する土地でも年間を通じてすまない別荘だから、まあいいかという形で土地が売られ、主に外国人の洋館が立ちならぶ新開地になったのだろう。案の定、浜に直面した別荘洋館は1923年の関東大震災と津波で壊滅した。

逗子に移住する前、海そばで住むのが憧れでした。その選択は今ないです。

もっとも”逗子らしさ”という総括的な”らしさ”はむしろ曖昧で、新宿らしさとか久木さしさとか、歴史的にその地形、植生、地区の局地的機構、地域社会のまとまりであった”字”や”小字”単位に還元したほうが、ミクロな”風土”の特性としての”らしさ”をイメージしやすいという感じはある。

まさに、私もそう感じていました。「逗子」で一括りにし難いと。

署名が5000人に達したとき、書名簿を「なぎさホテル」の所有者に提出して会見を申し入れたのだったが、「ご苦労様でした、しかしこのホテルは私どものものなので好きなようにさせてもらいます」のひと言で市民が唖然とする中で終止符を打たれたのは何とも残念であった。

と、ここまでが「一 マチの変遷」。章立ては、あとがき含めて六つあり。ビビッを全部書き出したらキリがないので、このあたりで。

逗子の地名や人名が次々と出てくる本です。逗子で活動している方には、馴染みのある名前が随所に登場して親近感が湧く本です。もう一箇所だけ引用。

「地産地消」と言うよりは、地元の小野寺愛さんの造語による「友産友消」と言ったほうが当たっているかもしれない。

逗子の「入門書」というにはレベルが高いので、逗子のまちをもっと深く知りたい人の「上級編」として好奇心がそそられる内容です。ご興味ある方は、ぜひご一読を。

ちなみに、余談ですが、私は大学の卒業論文テーマは「日本人の自然観」でした。参考文献にした百冊以上の中で、最も読み込んだのが、オギュスタンベルク『風土の日本』。本書を読みながら、『風土』をもう一度読み直そうかと思っていると、文中に「オーギュスタン・ベルク博士」が登場したので驚いたのでした。

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