『21世紀の楕円幻想論』を読む。やむを得ず引き受ける。

ブログには書けない(公で発言すると余計に面倒になる)厄介ごとや、前向きに受けたのだけど前途がみえない頼まれごとがいくつかあり、落ち着かない日常です。

ビジネス的な問題解決手法でいえば、’Divide and Conquer’で課題を細分化し、各個撃破するように努めること。そして、コントロールできること/できないことに分けて「コントロールできることに集中する」がストレスケア的に正しいやり方。

だけど、今回の問題は人の感情に関わり、合理的な思考で解決できるものではないと承知している。又、根本的なところで躓いていることに関しては、目先の課題を解決しても又ちがう問題が発生するでしょう。

焦って、急いで問題解決を図るのはやめて、やむを得ず引き受ける態度でよいかも。

平川克美さんの新刊を読んで、そんな心境に落ち着いた。
以下、『21世紀の楕円幻想論』より引用。

わたしは、解決がつかない問題を、安易に解決してはいけないと思います。(中略)

解決がつかない複雑な問題を前にしたときに、とりあえずわたしたちがとり得る態度は、「泣く」「ためらう」「逡巡する」です。つまりは、立ち止まって足元を見つめる時間を持つということです。

解決がつかない問題というのは、たとえば、経済的なハードルが高すぎるとか、自分の能力では及ばないために、解決がつかないということではありません。

どちらも自分にとっては大事であって、選ぶことができない。あるいは、一方を立てれば、一方が立たない。相矛盾しているのだけれども、どちらも現実だというような両義的な問題のことです。

こういった問題を整理し、選択し、どちらか一方に集中するというやり方は、一見スマートで合理的に見えるかもしれませんが、わたしはこうした態度は、問題からの逃避であると思うのです。

解決がつかない問題の前で、逡巡する時間を経たのちに、わたしたちがとるべき態度は、「やむを得ず、引き受ける」こと以外にはないように思います。

解決がつかないままに一身に引き受ける、というんですか。

合理性が大事なんじゃないんですよ。どちらか一方を切り捨ててしまえば簡単なんです。でも、どちらも、まあ、やむを得ず引き受けようじゃないか。

本書の冒頭で言及した「自己責任」とはこういうことだろうと思います。「自己責任」とは、解決不能の問題を、ちゃんと引き受けられるようになることではないかと思います。

つまりは、自分に責任のないことを、自分の責任として引き受けるということです。そういうことが世の中にはたくさんあるのです。

自分に責任のないことを、自分の責任として引き受ける。

そんな潔い生き方が私にできるかどうか分かりませんが、ひとまずそういう態度で生きてみます。

去年読んで衝撃を受けた『「移行期的混乱」以後』も読み返すかな。

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