娘との何気ない会話で「課題の分離」を意識する

アドラー心理学に詳しいわけではないですが、「課題の分離」という考え方が好きです。

課題の分離とは、自分の課題と他人の課題を分けて考えること。とくに、親子の関わりで使える考え方です。

子どもが小学生にもなれば、子どもが問題を起こしても、その結果の責任を親が引き受けすぎない方がいい、と個人的には思ってます。

そうはいっても、分離のさじ加減は案外に難しい。

今朝あった、父娘の何気ない会話を再録します。


子どもたちは夏休み。小学二年生の娘が学童に出かけようと玄関にいました。

外は夏空で、日差しがまぶしいです。帽子をかぶっていない娘をみて、
「帽子は?」と尋ねました。

「あっ!」と言って、娘は背負っていたカバンをおろし帽子を探し始めました。カバンのなかのノートや筆箱を外にだしけれど見当たらない。

「帽子がない・・」と言って、娘は立ちすくしていました。

「部屋、さがしにいこうか」と声をかけて、家のなかを一緒に探しました。でも、見当たりません。

「うーん。帽子、どこにあるんだろうね?」と私が口にしました。すると、

「昨日、帽子をカバンのなかにいれた」と娘が答えました。

「じゃ、もっぺん探してみようか」と言って、玄関に戻りました。

カバンの荷物を出す手伝いをしました。お弁当や水筒など全部だしてみると、カバンの底に帽子を見つけました。

「あった!」と娘が言いました。
「見つかって、よかったね」と私は伝えました。

娘は玄関をでて、スキップして学童に向かいました。


朝のお出かけ前の忘れ物チェック。何ということもない親子の会話です。

このとき、私が娘との会話で常に意識したのは「課題の分離」です。

帽子がないのはあくまで娘の問題であり、親である私の問題ではない。

玄関で「帽子を失くした・・」と娘が言ったときに、「どこで失くしたの!どうして失くしたの!!」と追及する選択肢がありました。

カバンのなかを再び探して、帽子が見つかったときに、「だからさっき言ったじゃない。なんで、ちゃんと探さなかったの!」と叱りつけることもできました。

でも、私は心のなかで「課題の分離。課題の分離。」とつぶやいて、叱責する、注意するといった選択をしないように戒めました。

もちろん、娘が帽子がないまま外出して夏の暑さで熱射病になったら大変です。だから、親の責任はないとは言い切れません。

結果として帽子があったからよかったのですが、仮に帽子を失くしていたとしても、やはり娘の責任であって、親である私の責任ではない。

もし帽子が見つからなかったら、タオルでも頭に巻いて追い出すつもりでした。「帽子をなくしたのは失敗だった」と娘が感じてくれたらそれでいい。そう、思いました。

子育ては修行と思ってます。どんな修行かといえば、

思い通りにならない相手に対し、思い通りにしようとしない修行です。

子どもは親の思うとおりには決してならないし、親もまた、子どもが望むような言動がいつもできるわけではありません。

ともあれ、今日は「課題の分離」の修行をマスターできたと思った日になりました。

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