河合隼雄『過保護なくして親離れはない』

河合隼雄先生の本で過ごすお盆休み。

前日に読んだ『大人になるってむずかしい』の続きを読みたく、大型書店で物色したところ、復刊された新刊を発見。

第1章が講演の口語体、第2章がQ&Aで読みやすい。子育ての話題が多く、パパ・ママ向けの河合隼雄ワールド入門書といえます。

以下、各所から引用。

子育ては「苦楽しい(くるたのしい)」。ものすごく苦しい、けれども楽しい。子どもに腹を立てたり、怒りをぶちまけたりしながら、結構上手くいっているのは、「苦楽しい」のだと思います。

子どもを叱って、言うことを聞かないときや、うまくいかないときは、たいてい大人がどこか間違っています。子どもはよく見てます。そのときは、どこがだめか子どもに聞いてみたらいいでしょう。そこからまた新しい関係ができます。

たいがいの親は、頭ごなしに反対するか、子どもの言うなりになることが、理解あることと勘違いする。この種の失敗した例は、ものすごく多い。これは、父親が理解力のあるようなふりをして、子どもに自分の意見をいう、いわば実存的対決をすることを怠っているのである。実は、このことは、実にしんどいことである。しかし、実存的対決なしには、子どもの成長はないし、親子関係も成立しないのである。

子どもはやがて親から離れてゆく存在であるが、それには母子一体となった濃密な、悔いのない関係がまず成立していなければならない。その後に、子どもは安心して親離れをすることができる。ところが、生半可に子離れについて考える人は、子どもが幼いときにタップリとスキンシップしていない場合が多い。子どもとしてもそれが不満である。そんなところへ子離れさせられたら、子どもとしては欲求不満を起こす。

過保護という言葉を使うと、今日、誤解を受けそうだが、子どもを幼いときにかわいがるということは、どんなにしてもしすぎることはない。母親の心性として、子どもをかわいがるということは自然なことである。が、頭で理解して無理にかわいがらないというケースがインテリ層の親に多いのである。

母親の役割は一層拡大した。以前はコミュニティやいろいろの自然のチェックで果たした母性の機能を、今日は意識したうえで行わなければならない。すなわち、「母性の意識化」である。

そんな母親のよきパートナーになることが父親の役目である。ただし、至難の業である。意識的な努力が必要です。

母性と父性のテーマが論じられています。母性の強い父親、父性の強い母親でも構わないと言及ありましたが、

母性を体現する「お母さん」の大変さについて綴った文章に共感しました。・・もちろん、私は男性なので本当のところは分からないのですが。

子どもを育てるのには、子どものことに本当に埋没して、その子どもを育てるというか、さきほど「やっかいな仕事」と言いましたが、もちろんすごく「嬉しい」こともありますね。子育てっていいなーって思う。そちらのほうに埋没していくと、自分というものがどこかで消えていくような感じがする。自分というよりも、「お母さん」という偉大な存在にならされてしまって、それにパーっと引っ張っていかれて「私」が消えるような、そういう感じを味わう人もおられるでしょう。

(中略)

そういうことからすると、現在の女性のほうが「私も何か面白いことをしたい」とか「私は一体、どんな生き方をすればいいのだろう」という観点に立つと、「お母さん」にうっかりなったら大変なことになると、人格が喪失してそのうち神様になるんじゃないか、と。(爆笑)

そういう恐れを感じられるのではないかと思います。私は男性で母親ではありませんが、推察して言うとそんな気がします。そして、また、「お母さん」ということのなかにスーッと入っていったとき、いわゆる学問的なこととか、経済的なこととか、ちゃんと考えるということがすごく、難しいだろうと私は思います。

それは子どもを育てるというのはすごいものだと思いますね。自分の人格を捨てるぐらいの感じをもっていなかったなら、母性というものは出てこないほどじゃないかと私は思っています。

母性というものは女性のからだと結びついていますから、自分のものとして生きる。ところが、身体は自分のものとして行き出すと「個」というものがどこかに消えていくような感じがある。

これは男性でもそうです。自分のからだと結びついて、みんなと一緒に生きていくというふうになると、自分の「個」というものがどこかで消えていくような感じがある。これはある意味で日本の男性たちがやっていることだと言ってもいいくらいです。みんな会社のためだとか、何とかのためにと言って、だんだん自分が無くなっていく。

ここで、今、私が考えているのは、母性に対して、例えば、下手をしたら消える「個」というのは、西欧の近代から出てきた「個人」というアイデアでしょう。

では、個性ということをもっと広くとると、自分というものを全く捨てて、わが子のために一生を生きた人、というのはすごい個性的な生き方をした人とも言えます。

(中略)

自分の個性的な生き方というなかに、いわゆる「個」を全く無にするという生き方も含まれているのではないか、と。そうすると、母性というものが、今までの「女だからちゃんとお母さんらしくしなさい」という単純なことではなくて、男性にとっても全く同じように母性ということが深い意味をもつのではないでしょうか。

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