「子供の貧困」の吸引力は凄い

「子供の貧困対策マッチング・フォーラム横浜会場」へ。200名収容のホールが満席でした。

こうしたフォーラムに参加するのは久しぶりです。以前は自分の興味に触れるものは出来るかぎり参加したのですが、このところ逗子絡み、もしくはファザーリング・ジャパン主催のイベントにしか出かけていませんでした。視野が狭くなったというべきか、地に足がついたということなのか。

今回はパネルディスカッションのコーディネーター吉原明香さん(横浜市市民活動支援センター責任者)からお誘いがあり、行こうという気持ちになりました。ありがとうございます。吉原さんの丁寧な進行、とても参考になりました。

先月、逗子でも「新しい貧困」をテーマにしたイベントが行われました。私も登壇者で声をかけていただけたものの、別な講演の日程と被り、泣く泣く出席できませんでした。当日は大入りだったとのことで、その様子をレポートしたかった心残りもあり、今回参加することにした次第です。

基調講演をされた草間吉夫さん(東北福祉大学特任教授、前高萩市長)のお話しが、簡潔にしてユーモアがあり惹きつけられました。わずか30分程度だったのが勿体なく感じたほど。

以下、雑感。

「子供の貧困」のフレーズは、物凄い吸引力があると感じます。こども食堂が各地で次々と立ち上がり、逗子のイベントも横浜のフォーラムも満員御礼だったことが表すように、「子供の貧困」の旗を掲げると多くの賛同者・協力者が集まります。

一方で、「子どもたちがかわいそう」という気持ちから支援するのが、私のなかで違和感がありました。今回登壇されたフェアスタート永岡さんの『かわいそう』ではなく『もったいない』というスタンスに共感します。

憐憫の情に訴えるタイプの話し手を、私が苦手にしているだけなのかもしれません。その点で、今回のフォーラムは事実データと取り組み内容の具体説明がなされる形が中心で、聞いていて安心感がありました。

帰りの電車で読んだ新書『子供の貧困が日本を滅ぼす』で、何気なく書かれた一文にハッとする思いがしました。

子どもの貧困は子ども自身が貧困ではなく、家庭の貧困によるものである。

そうなんです。「子どもが貧困」なのではなく「家庭が貧困」なのです。子どもの孤食や学力低下へのケアも重要ですが、親の労働条件改善も同時に行わないと根本的な解決になりません。子どもの貧困の本質は、大人側の雇用労働とセーフティネットの問題、もっといえば、親の自立支援であると思えたりします。(・・知識が浅かったらスミマセン)

「待機児童」と構造が似ています。保育園を待機しているのは子どもではなく、育休後の職場復帰を切望している母親です。「保育園に入れない子どもがかわいそう」なのではなく、駒崎弘樹さんが喝破されたように「官製失業」が待機児童問題の本質です。

正直にいうと、今回のフォーラムに私は今ひとつ入りこめませんでした。その理由を一言でいえば、自分がプレイヤーで加わっていないから。外野で評論家ぶった発言をしたり、ワン・オブ・聴衆に留まっていても仕方ない。他人事ではなく、ジブンゴトで。

ひとまず、タイガーマスク基金の年会費をまだ払っていなかったのを思い出し、寄付金を振り込むところからスタート。事務局から送っていただいた文面で、基金を利用して大学に進学した学生の声がいくつも載っており、励まされる気持ちになりました。

もうひとつ読んだ本で『「原因と結果」の経済学』も、貧困対策のエビデンスがいくつか載っていて勉強になりました。

少し長い引用になりますが、興味深かった一節を転記します。

著者の1人である津田にはこんな経験がある。2014年10月にハーバード大学で開催されたオバマケアに関するシンポジウムに参加したときのことだ。聴衆の1人であったジャーナリストが「私の知り合いでオバマケアで保険料が上がって困っていると言っている人が何人もいる。オバマケアはアメリカの医療制度を改悪しているのではないか」というコメントをした。

そのときマサチューセッツ工科大学の医療経済学であり、オバマケアの設計にも携わっているジョナサン・グルーバーは次のように答えた。

「個人の経験談の寄せ集めはデータではなく、エビデンスでもありません。われわれはきちんとデータを集めており、オバマケアの効果を検証しています。その結果、平均的には、アメリカ国民の保険料はオバマケアによって安くなっていることがわかっています。人によっては残念ながら保険料が上がって損しているかもしれませんが、そういった個々の話に惑わされずに、データを用いて全体像を見るようにしてください」

(中略)

わが国を振り返ってどうか。本書でもたびたび、永田町・霞ヶ関で行われている政策的な議論を取り上げたが、残念なことに、現在の政策的な議論が因果関係を示唆するエビデンスに基づいて行われたものとはとうてい言いがたい。

それどころか、選挙が近づくと、短期的に得票に結びつくような政策ばかりが議論され、これまで公約とされてきたことがくつがえったり、突如として何の根拠もない政策が強引に推し勧められたりして、結果として納税者である国民の利益が著しく損なわれているのを目にすることも多い。まさに、次の世代よりも、次の選挙が重んじられた結果だ。

このような有様を見るたびに、「選挙や政局といった一時的なポリティカルショーに左右されるのではなく、長期的な視野に立って、国民の社会的厚生(=幸福)を最大化することができないものか」と思う。そのためには、貧困アクションラボが掲げるように、「政治的流行に左右されやすい政策を、エビデンスに基づくものにする」ことが重要ではないか。

 

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