子ども食堂が全国3,718ヶ所で実施。みんなの食堂はサードプレイス&親もホッとできる場所&立派な健康づくり。

毎月最終金曜日は「みんなの食堂」。スタッフ含め125名の来場あり、17時15分で定員100名に達して受付を締めました。

詳しくは「みんなの久木プロジェクト」に開催レポートを載せました。
http://hisagi.zushi.life/20190628report/

私は木金と福島で研修出張があり、途中合流でした。

15時に研修を終え、15時50分の新幹線に乗り、18時半に逗子駅着。会場につくとスタッフ用で私の食事がありました。ありがとうございます。

今回の目玉は、とちぎやさんのスペシャルプレゼンツ

くみあげ豆腐

豆腐の作り方を動画をまじえて、解説がありました。(←私は間に合わず)

『美味しんぼ』の究極メニューを再現されたとのこと。
(下の画像は『美味しんぼ』22巻より)

片付けが終わって、残っていたスタッフと子どもたちで記念写真をパチリ。

先日「子ども食堂が全国3718ヶ所で実施」と報道されました。私から逗子市の開催分を事務局に伝えており、みんなの食堂もカウントされています。

このニュースソースで、湯浅誠さんが寄稿されていました。うなづくことばかりでした。

以下、Yahoo!ニュース「増え続ける子ども食堂 過去最大の年間1,400ヶ所増で全国3,718ヶ所に(湯浅誠)」より一部抜粋です。

インフラになり始めた

こども食堂はインフラになり始めたと言っていい。
インフラ=あたりまえにあるもの。
まだ物珍しく感じる人は少なくないだろう。
行ったことのある人は少ないだろう。
現状は、まだ「特別感」がある。
特別な人がやっている特別な場所というイメージ。

しかしだんだんと、そうではなくなってきている。
3,700ヶ所という数は、全国に4,000ヶ所ある児童館とほぼ同じ。
児童館くらいの身近さに、こども食堂がなり始めている。

歩いていける範囲に

こども食堂が「貧困家庭の子どもを集めて、ごはんを食べさせるところ」だとしたら、こども食堂の究極の目的はゼロになることだ。
子どもの貧困が解決すれば、自分たちは不要になるからだ。

しかし地域の交流拠点でもあるとしたら、話は違ってくる。
そこに人が暮らしているかぎり、あり続けたほうがよいもの。

だから私たちは、こども食堂のような居場所、家庭でも学校でもない第三の居場所(サード・プレイス)は、すべての子がアクセスできることが望ましいと考えている。

家庭の経済状態に関係なく、親でも先生でもない大人たちと出会う場所。
それを通じて、多様な価値観を身につけ、人生の選択肢を広げていく場所。

子どもの選択肢を広げる

なぜ歩いていけるところに、そうした場所が必要なのか。

一つは、子どもの選択肢を広げる、子どもの育ちの応援。

私自身の話になるが、私の兄は障害を持っている。
その兄のために、我が家にはボランティアの人たちが出入りしていた。
小さい頃の私も、よく遊んでもらった。
初めて大学生に会ったのもこのときだ。名前を有賀さんと言った。

「新しい生き物」に出会った感じだった。
大人でもないし、子どもでもない。
それからしばらく、私にとって大学生とは「有賀さんみたいな人たち」で、大学とは「有賀さんみたいな人が行っているところ」だった。

世の中には「大学など自分とは無縁」と思って生きている子がいる。
別に大学に行かなくても、立派な大人にはなれる。
が、大学に行くかどうかの選択が「自分にはない」と感じることは、問題だ。
貧困とは、選択肢が狭まることだから。

その選択肢を広げるのに必要なのは、学習支援だったり、キャリア教育だったり、親の経済力だったり、大学教育の無償化だったりするだろう。
同時に「生身の大学生に出会う」ことが決定的な意味を持つこともある。

それは、出会う場があって、可能になる。

親もホッとできる場所

二つめに、親たち。

いくら我が子がかわいくても、365日ずっと一緒にいれば、疲れるときもある。
特に今の子育ては、母親の孤立感が深い。
核家族だし、夫の帰りは遅いし。

子連れだと制約も多く、社会とのつながりも薄くなったりする。
でも愚痴を言うと「あんた、自分の子どもを愛してないの?」と聞かれそうで、言えない。
世の中にはすごい子育ての話が氾濫しているが、自分はそんなに完璧にはできない。

そういうふうにして、気持ち的に追いつめられていく母親は少なくない。
サザエさんは、フネさんが一緒に台所に立ってくれて、タラちゃんはカツオやワカメが遊んでくれて、それでみんな「いいね」と言うのに、家族以外を頼ろうとすると「甘えている」と言われてしまう。あんな三世代同居は、もうほとんどいないのに。

そういう中で、こども食堂は親がホッとできる場所になっている。
小さい子を他の大人があやしてくれるので、自分のペースで食事ができる。
他の親とおしゃべりができる。

子どもが食べ物をこぼしても、誰も文句を言わない。
より年上の人たちが自身の子育て経験を教えてくれる。

「こども食堂で、最後まで帰りたがらないのは、お母さんたち」とは、よく聞く「こども食堂あるある」だ。

こども食堂は、家庭力を上げる

ある母親は私に「ここがあるから、ふだんのおかずをもう一品増やせる」と言っていた。

仕事に休息が必要なように、子育てにも休息は必要だ。
どれだけ仕事が好きでも。どれだけ子どもが愛おしくても。

休みがあって、仕事をがんばれる。
休みがあって、子育てをがんばれる。

エンドレスにがんばりつづけるのが「仕事をする」ということではない、と唱えたのが働き方改革だった。
それにならえば、エンドレスにがんばりつづけるのが「子育てする」ということではない。

だから心配しなくて大丈夫。
こども食堂は家庭力を下げない。家庭力を上げる。

「誰かがいるから、がんばれる」ってある

人生100年と言われるようになった。
末長く健康に暮らしたいし、またそうしなければいけないようなプレッシャーも、じんわりと感じるようになった。

体操したり、散歩したり、ジムに通ったり、自分のために健康づくりにいそしめる人は、それでいい。

が、すべての人が「自分のためにがんばれる」わけではない。
自分一人のためには食事をつくる気もおきない、という人もたくさんいる。
誰かがいるから、がんばれる、と。

私がこども食堂で会った調理ボランティアの最高年齢は91歳の女性だった。
彼女は「自分が元気をもらってる」と話していた。
誰かのため、が自分の張りあいとなり、元気になり、よくしゃべり、おいしく食べられる。

それも立派な健康づくりだ。

みんなの食堂も、子どもたちのサードプレイスになれているし、親もホッとできる場所になっていると思います。毎回お越しになられる高齢者の健康づくりにも役たっていると。

そして開催するたびに、いつも思います。

みんながいるから、がんばれる。

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