山田英夫『マルチプル・ワーカー「複業」の時代』

副業・兼業を認める会社が現れ、新しい働き方の萌芽が起きている予感がします。数年もすれば、勤め先の会社以外に複数の仕事をもつことが普通になっているかもしれません。

副業の動きを解説する良書を見つけました。山田英夫先生(早稲田大学ビジネススクール教授)『マルチプル・ワーカー「複業」の時代』の要点は、「はじめに」に書かれた次の文章と思いました。

本書は「副業」(Side jobs)よりも、「複業」(Multiple jobs)に比重を置く。「副」という言葉は「正」も対する対比語であり、英語で言えば、メイン(main)に対するサブ(sub)である。そこには確固たる本業があり、それを補うために別の仕事をするという意味が含まれている。(中略)小遣い稼ぎをするようなものである。

本書では、こうした「副業」よりは、本業と主従関係のない「複業」を中心に取り上げる。この複業に従事する人を「マルチプルワーカー」と呼ぶことにする。「人間はもともと複数の才能をもっており、会社の仕事ではその一部しか開花させていない」という前提に基づかれて書かれている。

最近よく聞かれるようになった「副業解禁」という言葉からは、「これまで会社に隠れてやっていたアルバイトが、正々堂々とできるようになる」というような理解をしている人もいるかもしれない。しかし、本書の執筆のために多くの調査や企業取材を続けてきた結果、それとはまったく違う副業のあり方が見えてきた。

本書の構成は、前半で「副業」の社会的背景と種類を解説、中盤で「複業」の意義と可能性が事例とともに紹介され、最後に「複業」を進めるための個人と企業への提言。とても分かりやすかったです。

例えば「伏業/副業/幅業/複業」マトリクス(P28)は、副業の分類が一目で伝わります。

私が付箋を貼ったのは次の箇所。

弊大学院では修士論文を必修としているが、理系出身者を除けば、多くの学生は論理的な論文を書いた経験がなく、そうした論文は順風満帆に書き上げられるものではない。執筆途中で必ず壁にぶつかる。その時、本業(大学院生であれば勉強)しかない学生は、パニックに陥ったり、何度もテーマを変えようとする。テーマをしばしば変えた論文は、当然内容は乏しくなる。しかし複業をもっている学生は、壁にぶつかった時、複業での経験を生かし、発想の転換も進みやすい。

私も社会人入学の修士一年生です。そろそろと修士論文を書き始めています。

大学院のレポートや論文を書く際、大変!とは思いつつも、わりと余裕を持って進められているのは、私がマルチプル・ワーカーの特性をもっているせいなのだな。


以下、個人的な回想です。

私がサラリーマンを卒業したのは十年前。超優良安定企業のグループ会社に勤めており、定年まで働くつもりでいましたが、飛び出してしまいました。

辞めた理由として「長女の誕生をきっかけに働き方と生き方を見直し、起業独立しました」と講演では伝えています。たしかに、起業のきっかけは育児でしたが、実際は様々な要因が複合しており、その一つが「副業」でした。

当時、企業人向け教育の企画が私の仕事でしたが、新規事業として学生向け就職支援プログラムの開発に従事しました。そして、就職支援の外部勉強会で知り合った某大学就職課の職員(20代男性)と仲良くなりました。

彼と何度かやりとりをしたなかで、あるとき、「東さん、うちの大学でキャリアデザインの連続講座をしませんか?」とお誘いを受けました。願ってもない話しで、即「やります!」と回答しました。

しかし、会社の上司に報告するとNGでした。講師謝礼は会社の売上になるし、大学で講座を行うことで自社のブランディングにもつながる。問題なかろうと判断して説得したのですが、上司は難色を示すのみ。

「授業の日は有休にするので、会社と関係ない形で行うのはどうですか?」と副業(Side job)の提案をしたもののダメ。

ならば、と社長に直談判したのですが、却下されました。その理由は、「他の社員に示しがつかない」。

まさに本書で描かれた状況になりました。

複業をうらやむ社員は、複業を行った社員を「社業を乱す」として批判する傾向がある。その結果、「出る杭は打たれる」という諺のような事が起こる。(中略)内集団志向が強いため、その中の成員が同じような行動を採っていないと、不安もしくは不快になる。それが、複業における、妬み、やっかみになる。

会社の仕事と大学の授業。どちらがやりたいかを天秤に測れば、あきらかに大学の授業でした。社内で画策したものの上手くいかなかったため、会社から副業禁止に遭ったのを幸いに、私は辞める決心がつきました。

あのとき、十年前に副業解禁の動きがあれば、もしかしたら留まっていたかもしれません。

また、大学で実績があるわけではない私にチャンスを与えるべく、職員の友人が相当がんばって学内調整してくれていました。その意気に応えたい気持ちも強くありました。

数年経って彼に、私が辞めた事情がそのようであったと打ち明かしたら「そんな大それたことをしてスミマセンでした」と謝られました。私としては逆に、「決断するきっかけを与えてくれて有難う」と感謝したい気持ちでした。

2008年から2013年まで六年間、大学でキャリアデザインの連続講座を担当し、とても充実した授業ができました。私の友人たちに社会人ゲストで数多く来てもらったり、当時の学生は卒業してそれぞれ活躍しており、今も交流があります。これまで色々な仕事をしてきたなかで、最高に楽しかったものに挙げられます。

教員稼業は天職に感じるほどでした。大学から2014年度に正規コマを担当する打診を受けたのですが、公務員の仕事が始まることが先に決まり、複業の両立が困難に思われて大学の仕事は断念しました。

今は、公務員業を卒業し、講師業と大学院生の二本立てパラレルキャリアです。ほか、PTA会長や地域のお役目で新たな柱がいくつも立ちました。

ただ、収入の柱が一本になったことで、バランスの悪さを感じています。生業になる柱をもう一本立てる方がよいと考え、仕込みを始めました。具体的には、大学の教員公募に応募し始めました。早速、結果が出始めています。

「大黒柱」の働き方は柱が折れると行き場がなくなるのでリスクが高いと感じます。私は十年前から、複業で生計を立てる「パルテノン神殿作戦」を採用しています。

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