子育てほど面白い仕事はない。
世の中のお父さんはもっと子育てしてほしい。
ファザーリング・ジャパン(FJ)のパパインタビュー。
今回は、福岡から上京された中倉誠二さんにお時間をいただきました。
FJパパインタビューはこれまで、FJの理事やプロジェクトリーダーなど何かしらFJの役職に就いている、アクティブなメンバーを対象に行なってきました。
中倉さんはFJの役職に就いているわけではありませんが、FJが行うイベントのサポートなど積極的に関わってくださり、FJの活動に対してアクティブにコミットされています。
お子さんはすでに成人されている中倉さんがなぜ、乳幼児パパを中心とする団体に入会されたのか。又、今後どのようなことを展望されているのか。一度、お話しをお聞きしたいと、かねてから思っていました。
インタビューにかこつけて、丸の内の珈琲店で2時間くらい喋くりあう機会に恵まれた次第です。
FJに入ったのは四年くらい前ですかね。息子たちは29歳で、うち一人は結婚しました。
双子だったんです。私の年齢では(父親で子育てしていたのは)珍しいとは思うんですけど、子育てせざるをえなくて。
実家の協力を得ながらも、妻と一緒に子育てをしてきました。
で、思うんです。
子育てほど、大変だけど面白い仕事ってない。
世の中のお父さんには、もっともっと子育てやってほしい。
自分の子育ては卒業している歳なんですけど、父親が子育てに関わるためのお手伝いをしてみたい。
当時はもうサラリーマンを辞めていましたので、NPOとかで団体がないかなと思いました。ネットを検索したらファザーリング・ジャパンが出てきて、これこれ!て思ったんですね。
で、問合せ先のアドレスにメールして「入ったら何かしなければいけないんですか?」と質問しました。事務局から「いや、別にプロジェクトとかやりたければ入ればいいし、やりたくなければそれでもよいです。結構ゆるいですよ」の返事でした。そんなやりとりがあって入会しました。安藤さんの講演を聞いてFJを知った、とかではないんです。
現役で子育てしていた25年くらい前は、パパ会なんてありませんでした。
だから、乳幼児期にはパパ友はいなかったです。妻もママ友とつるむタイプではありませんでした。双子を抱えて公園デビューしている余裕すらなかったのが現実です。
うちの双子が生まれて二年後くらいに、最初の育児休業法ができました。(注:1991年に育児介護休業法が制定)
男性も育休とれることになった、と人事から説明がありました。けど、「男性がとってどうすんの?」といった雰囲気でした。
双子の子育てはとにかく大変でした。出産後、妻の体力が戻るのに半年かかりました。私も昼間は会社があって、夜中はミルクを作って、フラフラになりました。
子どもが一人ずつ交代で泣いて、24時間まったく眠れなくなりました。寝不足でした。でも会社にいってボーとはできず。
仕事は仕事でなるべく早く帰って、夜は子育てして。こんな生活、あと何ヶ月続くんだろう。
ふと、思ったんです。
人間、寝不足で死ぬことはないだろう。
精神疾患になったとしても死ぬことはない。
でも、
ミルクやんないと、
赤ちゃんふたりは死ぬよね
自分がミルクあげないと、二人は死んじゃうから。
夫婦そろって「これは親の責任だよね」と言い合いながら子育てしました。
まあ、妻と二人でやれたから、がんばれた。
双子じゃなかったら、子育ては妻に任せっきりになったと思います。
いい経験ができました。息子たちに感謝しています。
中倉さんのお住まいは千葉県でしたが、この春に福岡へ職住を移転する決断をされました。奥様の実家が福岡で、もともと地縁があったとのこと。
ファザーリング・ジャパン九州(FJQ)に入り、今後はFJQのイベントに積極的に顔を出されるとのこと。
とくに九州イクボスプロジェクトにおいて、中小企業診断士の中倉さんが活躍されることは間違いありません。FJQは貴重な戦力を得ました。
福岡に住む良さを中倉さんから散々に聞かされ、「私も福岡にいこうかしら」なんて思ったり。
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