『ギリシア人の物語』で古代ギリシアのオリンピック起源と廃止した理由を知る

講演業は開店休業状態がつづき、まとまった時間に読書タイム。

骨太なところで、塩野七生『ギリシア人の物語』。

新型ウィルス感染がおさまらず、東京オリンピックの開催が危ぶまれている折です。

古代ギリシアでオリンピックが始まった話しに目が引きました。戦争を休戦する知恵で体技で競いあったのですね。

トロイ戦争のほうは「木馬」によってケリがついたが、現実の人間世界ではそうはことはうまく進まない。人間世界には、ゼウスのように権威があって強力な調停役もいなかった。かと言って、毎年のように夏になると戦争ばかりしているのも非人間的である。ならば休戦すればよいではないかと思うが、人間同士が結ぶ休戦などはすぐに破るのがギリシア人である。

そう考えるうちにたどり着いたのが、オリンピアで開催する競技会であった。ギリシア人が何よりも好む体技を競うのだから、その間にかぎっての休戦ならば破られないであろう、と。オリンピアの地に建てた神殿の中でゼウスの像を前にして、各都市国家を代表する選手たちが「正々堂々と闘うことを誓います」と宣誓するのにも、理由は充分にあったのだ。他の神ではなく、神々の調停役でもあるゼウスに向かって誓う。そしてその後は、大好きな競技に全力を投入する。

(中略)オリンピックとは、戦いばかりしていた古代のギリシア人から生まれた、人間性に深く基づいた「知恵」であったのだ。

千年以上つづいたオリンピックを止めた理由の記述も。宗教上の理由だったのですね。

(中略)紀元前776年に始まったオリンピアの地で開かれる競技会は、紀元後393年に廃止を命ぜられるまでの実に1169年もの間、つづけられたのである。四年に一度なので、292回もつづいたことになる。
後393年に終わりを遂げたのは皇帝テオドシウスが命じたためで、洗礼を受けてキリスト教徒になっていたローマ帝国皇帝テオドシウスは、ローマ帝国の国教はキリスト教のみと定め、他はすべて邪教とした皇帝でもあった。
キリスト教は一神教だ。一神教が一神教である由来は、他の宗教は認めないところにある。キリスト教徒であるテオドシウスにとって、邪教の親玉という感じのゼウスに捧げたオリンピックなどは認めるわけにいかなかったのだ。

(中略)また、スポーツに名を借りたにしろ、競い合うことも嫌った。オリンピックは、二重にも三重にも存続の意義を失ったのである。

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