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とある基金の審査会場へ

      2017/10/26

本日は横浜。とある基金の公開審査会場へ足を運びました。

ご縁のある子育て支援団体から「この基金に応募したい」と相談を受けたのが夏頃でした。「応募書類の作成は私しますよ」と引き取り、突貫作業で作り込みました。

団体のメンバーと何度となくやりとりを重ね、事業企画の精度を高めました。最後の仕上げは代表が行い、魂の入った提案書となりました。これなら審査は通過するはず!と自信がもてるレベルで提出できました。

しかし、結果は書類審査で落選。
えーーー!と落胆しました。

なぜ通らなかったのだろう。何が足りなかったのだろう?
色々考えましたが、よく分からない。

他の通過した団体のプレゼンを聞ける機会があると知り、来年度また応募する際の参考にしようと思い、公開プレゼンテーションの会場に向かいました。

そこで配布された書類審査通過の団体が提出した資料(応募書類の一部抜粋)を見る限り、私たちが通っていても全然おかしくないと正直思いました。時間がないなかでの準備だったため、事務局や関係部署と調整すり合わせする時間がとれなかったのが主な敗因と分析しました。

しかし、プレゼンターに対する審査員の質問を聞きながら、私が応援した団体が通過できなかった理由が腹落ちしました。

審査員からあった具体的な質問はここに書かないのですが、評価されると思っていたポイントがズレていたのだな。要項に記載された審査基準に沿って書類を作ったつもりでしたが、審査員の興味関心はそこだけではなかった模様。

帰りの電車で読んだ、湯浅誠さん著『「なんとかする」子どもの貧困』の記述に深くうなづいたのでした。

NPOの人たちは”思い”で動く。自分たちが”思い”で動いているために、相手に対する評価尺度も”思い”になりがちだ。自分たちの提案が受け入れられないと「相手は”思い”がないのだ」と。

しかし行政マンは”思い”があっても動けない場合がある。公平性と適正なプロセスが伴わなければ、「”思い”はありました」と言っても誰も許してくれない。そのため、なされた提案を「公平性と適正なプロセスが担保できるか」という評価尺度で検討する。

双方の評価尺度の違いが、せっかくの「善いこと」の実現を阻む。

だとしたら、双方の評価尺度をすり合わせばいい。NPOは、自分たちの”思い”を、公平で適正なプロセスに乗せる方法を考える。自分の論理だけでなく、相手の論理も理解した上で、双方の接点を探る努力をお互いが示せば、両者の目線が合ってくる。「実現に至る道順を思い描く」とは、そういうことだ。

物事を一ミリでも進めようとすれば、「わかってくれ」だけではなく、相手の論理と重ね合わせる覚悟を決めるしかない。仮にそれを「妥協」と非難されようと。

なぜなら、実現しなければ、結局取り残されるのは子どもたちだから。そこを何とかしようとして活動しているのだから。

審査員のやりとりに、ちょっと残念な気持ちになりながら会場を後にしたのでした。

行政(審査員も)とNPOの見ている世界が違う。資金的援助がなくても、やる人はすでにやり始めている。行政から言われなくても、第一線でニーズを掴み、やる必然を感じた人は諦めずにやり続けている。

協働は行政とNPOが対等の関係で、と言われるけれど実際には難しい。とりわけ審査の形を経て行う協働事業は、どうしてもお金を出す方が上から目線になってしまい、行政側がよほど配慮しないと対等な関係は築けない。

真の協働は難しい、と改めて感じたのでした。

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