子ども会のソフトボール練習で35年前からの恩送り

ゴールデンウィークの日曜日はソフトボールの練習。子ども会の主催で、主役は小学生。私はサポート初参加でした。

地元にとても評判のよい指導者がいらっしゃいます。久木体育会の集まりで何度かお会いして人柄に惚れ惚れするところあり、私もソフトボールの練習に加わりたいなと以前から思っていました。

そこで、長女を誘って一緒に行こうと考えたものの、インドア派の娘はスルー。4月に子ども会役員スポーツ担当になったのを機に、ようやく参加ができました。

かくいう私は、小学校と高校の部活が野球部でした。その後、野球からすっかり遠ざかりましたが、昔は野球少年で「野球選手が夢だった。」という時期もありました。今回グラブを新調し、夢をもう一度。男のロマンが妻の不満にならぬ程度に。

20年ぶりくらいにソフトボールしながら(といっても私はサポートで打つ投げるをしてないですが)、ふと、私が小学6年生の夏休みに、学区内の子ども会対抗ソフトボール大会でキャプテンを務めたチームが思いがけず優勝した記憶が蘇りました。

当時(いま46歳なので35年前)、夏休みの毎朝と夕方に、ソフトボールの練習がありました。・・昼間は野球部の練習でした。

子ども会ソフトボールの監督は近所に住むおじさんで、毎日の練習に来てくれました。お母さんたちは差し入れや飲み物を毎回持ってきてくれました。

ソフトボールで学区優勝し、次は区の選抜大会に出場することに。子どもたちは喜び、優勝パレードを企画して町内を練り歩きました。監督は優勝のうれしさ反面、練習期間が選抜大会まで延びたことで困惑半分の表情だったと思い出します。

私が子どもの頃、大人たちが子どもにしてくれるのを当たり前のように受け取っていました。でも、いま自分が親になって与える側になってみると、今の私とは比較にならないほど、当時(団塊ジュニア)の親たちは非常なる労力をかけて地元の子どもたちに関わっていたと気づかされます。

地域の親たち、大人たちに支えられ見守られながら、私は子ども時代を過ごしたと感じ入りました。そして今、こうして週末を子ども会の活動で過ごすのは、35年前からの恩送りだなと思い至りました。・・自分が受けた分だけの恩を送り返すことは、とてもできそうにないですが。

ともあれ、午後いっぱい運動したおかげで、夜はぐっすり眠れました。眠る前は、松本理寿輝さん著『まちの保育園を知っていますか』を読みました。

まちの保育園は乙武匡洋さんが共同経営者になられたことで私は知りましたが、本書に乙武さんの言及はなく。いろいろな事情と気遣いがあったとお察し致します。ちなみに、小竹向原の「まちのパーラー」に行ったことあります。

ソフトボール練習で感じた私の心境と、本書がシンクロした箇所を引用です。

私たちもみんな昔は子どもでした。自分の幼少期に夢中になった活動を思い出してください。さて、そこには、親や教師は、どのように登場するでしょうか。

(中略)

子どもたちは、「大人たち」をよく見て育ちます。一番の、子どもへの影響は、私たちが子どもにしてあげること(doing)よりも、そもそも、私たち大人がどうあるか(being)です。

子どもの未来について、「こういうスキルを身につけてほしい」とか「こんなものを大事にしていってほしい」と願いを持つことも大切ですが、なってほしい人間像に、まずは私たち自身が近づく志向を持っていることが大事です。「自分にできていないことを子どもたちにできるようになって欲しい」とただ願うのは、子どもたちにすぐ見抜かれてしまいます。

大切なのは、むしろ、「自分たちが今なんとかして手にいれているものを、さらによくして、子どもたちのための環境として手渡していきたい」と思い、大人たちが行動していくことなのではないか。

(中略)

子どもにとって、大人同士がなんだか楽しそうに、真剣に、関わりあっている環境、間近にある地域社会が、意気に燃え、子どもも、大人も心を動かしていることは、何にも代えがたい贈り物です。「大人が楽しそうに生活し、自分たちの信じられることをやっている社会」、それこそが、子どもにとっての理想的な環境なのではないかと思います。

上段のむすび言葉が、行き着くところですね。

理想的な子どもの環境づくりは、理想的な社会づくりと同じこと

ちなみに、区選抜のソフトボール大会は初戦で強豪チームに当たって、0対15のコールド負け。小6の夏はコテンパンにやられて終わりました。

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