伊丹敬之『創造的論文の書き方』

大学院の先生から紹介された伊丹敬之先生による論文指導法の書籍を手元におきながら、論文を書いています。

修士1年なので修士論文を提出するのは来年ですが、指導教官の中村先生から教示されたように、できるだけ早く始めようと考えました。

そこで夏休みのうちに書きあげてしまおう!と着手したものの、全く進みませんでした。どうにも手が動かず、夏は先行研究の文献を読み漁ることに費やしました。

論文が書けなかった原因は締め切りがなかった為です。

伊丹先生が対話の形で語られていたとおりです。

伊丹 締め切りのない原稿は、絶対に書けない。私の場合は、締め切りがあると必ず間に合う。

締め切りのない原稿はなぜ書けないか。逆に言えば、論文の書き方の一つのコツは、強制的なデッドラインを自ら作ることである、ということになるのだけれども、締め切りのない原稿はなぜ書けないのかというと、論理的につなぐとか、全体の構成を考えるとか、あるいは証拠を十分に用意するとか、そういうプロセスというのは、精度をどんどん上げていくということも考えると、ある意味で際限のないプロセスなのです。どこかで切らなければ仕方ない。

しかし、人間は普通、自分では切れない。もうちょっと何とかならないかとか、つい思う。締め切りは、それに諦めを与えてくれるんだよな。仕方ない、締め切りが来てしまったと。

したがって、締め切りを守らない人というのはうまくいかない。締め切りを守らない人というのは、結局は自分で最終的に責任をもってものを切ることができないんじゃないかな。私は少なくともそういう人を何人も知っているけれども、やはりその人たちの多くは基本的に良いものを自分の責任ではできない。

C君、何を笑っているの。

C いや、耳が痛くて痛くて。

締め切りがないと書けない。逆にいえば、締め切りがあれば書けるわけです。

何かないかと探していたら、10月末締め切りの論文募集でちょうど良いものを見つけました。(←具体的には論文提出後に報告します)

ということで、今月から(具体的には月初の沖縄滞在のときから)2万字の論文を書き始めました。

本やレポートは何度か書いたことがあり、こうしてブログをほぼ毎日更新しているので、文章を書くのには慣れています。しかし、論文は勝手が違う。作法が異なって、ちょっと苦しんでいます。

伊丹先生の表現でいえば、ただいま「自己嫌悪との闘い」の最中です。

それでも、一応の進歩はしています。

どこから手をつければよいかの暗中模索の状態からは脱しています。

1ヶ月前は「知れば知るほど目が曇る」の只中にいました。

来週中には止めを打ちたい。結論でどのように、どこまで表現するのかも又、悩ましい。

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