今回のFJパパインタビューは、ファザーリング・ジャパン理事の徳倉康之さん。
日用雑貨メーカーでトップ営業マンとして腕をならし、ファザーリング・ジャパンの事務局長に転職。
その後、高松にUターン移住し、株式会社ファミーリエを設立。地元で子育て支援や働き方改革推進等の事業を展開し、RNC西日本放送「every.フライデー」にレギュラー出演。
香川大学大学院特任准教授、内閣府子ども・子育て会議委員、高松市創造都市推進懇話会(U-40)会長などを歴任。
ほか、育児休業3回取得など多彩なプロフィールがありますが、一言で紹介するなら「喋りの達人」。
先日も名古屋で開催したFJ全国キャラバンで登壇し、圧倒的なパフォーマンスで聴衆を惹きつけていました。
FJを知ったきっかけは?
2009年3月に長男が生まれ、8月から育休を8ヶ月間取得しました。その間に渥美由喜さんや経済産業省の山田正人さんの本を読み、その流れでファザーリング・ジャパンという団体があることは認識していました。
その頃に、治部れんげさんの著書『稼ぐ妻、育てる夫』を図書館で見つけて読み、男女共同参画、働き方、キャリアの概念から興味をもつようになりました。
月日は流れ、2011年5月に次男が生まれます。2011年5月から、妻の産休中に育休を3ヶ月弱とりました。そのとき、ファザーリング・ジャパンという団体があったなと思い出し、そこで初めて検索してFJのホームページを見ました。
「これ面白そうじゃん」て思い、電話をかけて、事務局の方に「どうやって入れますか?」と聞いたら「入会費と年会費を振り込んでもらったら入れます」と。それで、お金を振り込んで入会しました。
FJの活動に参加したこともなく、代表理事の安藤さんの存在も知らないまま、ホームページを見て入ることを決めたわけです。
FJの活動を全く知らずに入って、安藤さんから珍しがられたのを、すごく覚えています。
その後のFJとの関わり方は?
2011年5月に入会し、7月に行われたさんきゅーパパプロジェクトのイベントに参加しました。ゲストが治部れんげさんでした。
治部さんに会いたくて、会社を半休してお手伝いに行ったのが、FJに関わった最初の活動になります。その日は夜の飲み会までいました。
東さん、つかごしさん、安藤さんがいて、これはちょっと面白そうと思ったんですね。自分のキャリアや色々な体験、話すスキルをここで活かせるかもしれない。
当時、自分のキャリア的に悶々としていたんです。マミートラックに近くて、営業の成績はトップだけれども後輩が先に昇進する。育休二回とったことで、二周回遅れしていたんです。
そうしたこともあって、FJにボランティアでしょっちゅう出入りするようになりました。そのうち「今の会社にいるより、FJというNPOで営業した方が面白くなるんじゃないか」と思うようになりました。
安藤さんに相談すると「ファザーリング全国フォーラム鳥取の実行委員長をやらないか?」と打診があり、「いいですよ」と答えました。
2012年2月に開催された全国フォーラム滋賀大会のときには、会社を辞めることを決めていました。辞める前に安藤さんに話すと、びっくりされていましたけど。
そして、FJの事務局長になりました。そこから二年半、FJに雇ってもらいました。
いまは地元でUターン起業しましたので、理事として関わりながらFJと一緒に活動しているという感じです。
パパスイッチはいつ入りましたか?
2008年に妻が妊娠したときに「お、子どもが生まれる」というのが、最初のパパスイッチでした。
そのとき、自分がどういう父親になろうかと考えました。育休とることは決めていましたので。
育休とることを決めていたのはなぜ?
夫婦で相談しました。
医師として働く妻の今後のキャリアを考えると、生後4ヶ月か5ヶ月くらいで病院に復帰する方が将来良いのではないかと考えました。
そうなると、子どもが保育園に入るまでの1年間、妻以外の誰かが子どもを育てなければいけない。実家が当時は近くなかったので、これはもう、ぼくがやるしかない。
そのとき、徳倉さん自身のキャリアに葛藤はなかったですか?
ぼくは27歳のときに病気で一年、休職しているんです。なので、ぼく自身のキャリアを駆け上がろうとするより、妻のキャリアを活かしていくスタイルの方がいいんじゃないかと考えたのですね。
一回休むのも二回休むのも、あんまり変わらないなと。前は病気で休みましたけど、今度は自分の意思で育休を取ろうと。
徳倉さんがFJに入会した当時のことを、私もよく覚えています。凄腕の営業マンが入会した!と話題になりました。
FJ事務局長に就任された後は、営業部長の肩書きで企業や行政に売り込みをかけて次々と案件を成約させました。
ファザーリング全国フォーラムの実行委員長としては抜群の交渉力で、中央官庁(財務省・経済産業省・文部科学省・厚生労働省・内閣府)や県庁と渡り合いました。
高松に移住されてから、さらに羽ばたかれた印象があります。徳倉さんは、地方移住の働き方の体現者といえます。
徳倉さんとは色々な場面でファザーリング活動を共にしますが、7月に沖縄の全国キャラバンでご一緒します。
こちらの詳細は又追って。
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