今回のFJパパインタビューは、葛飾区在住の坪井博一さんてす。北千住で待ち合わせました。
坪井パパのお子さんは、長女10歳・次女7歳。私の娘たちと年齢が近くて、親近感がわきます。
FJを知ったきっかけは?
妹が生まれてなかったとき、江東区で八坂貴宏さんの講座が参加したのが最初のきっかけです。
「家族なかよく」といったテーマの講座で、嫁さんから行こうと誘われました。その時点ではFJを知らなかったんです。
行ってみると、夫婦で参加していたのは、うちだけでした。そこでワークショップ的なことをやり、ほかの参加者の人と話していて「夫婦で来れるなんていいなぁ」なんてことを言われました。
夫婦では「これが普通だよね」と言いつつ、八坂さんからFJの紹介がありました。
その後で、妹が生まれた頃だと思うんですが、葛飾区に八坂さんが来たんですよ。今度はパパの育児がテーマで「地元でパパ友をつくりましょう」みたいな話があり。
そこでパパたち同士でつながって、何回か飲みに行って。パパたちで集まると面白んだっていうのを知り。
FJに入会しようと思ったきっかけは?
次に、葛飾区でパパスクールが行われて、しゅうちゃんたちが来ました。絵本やバルーンをやりました。
その辺りで、FJを知ってから何年か経つし、しゅうちゃんとか近くに会員がいると分かった。
あと、メンバーの方達がすげえ楽しそうだなって。面白そうだから入ろう、という感じです。
順番としては、嫁さんと一緒に講座にいき、嫁さんが八坂さんのことを認識していた。
葛飾のパパの講座で八坂さんがきて「もう一回話し聞きたいから行ってくる」と言ったとき、嫁さんは認識しているから抵抗はなく。
その後に「八坂さんが所属している団体のパパスクールがあるから行ってくる」という感じです。
入会までは結構時間かかっていますが、自然な流れではあったなって今考えると思います。
条件が整って入会したという感じですね
そうそう。講座やスクールがなかったら入ってなかったと思うんですね。
もう一つ、その頃は会社員を辞めてるんですよ。主夫みたいなことをしていて。
そのとき、娘たちが二人とも保育園でした。保育園の送り迎えはしていましたが、身近なパパと話す機会はなかったです。
ママたちとは普通に話していて、ママ友はいる。でも、ママとはやはり感覚ちがうのはあって。どこかでたぶん、パパ友がほしいと思ってたんだけど、身近にいなかった。
でも、FJにはパパたちがいる。FJに入れば、自分がやっているパパ的な育児に関することを話しやすいだろうなっていうのはありました。
FJの今の関わり方は?
いまは、たまにFJが行う講座に行ってるのと、主夫の友でいろいろやっています。
あと、高祖さんから依頼があって、他区の講座を年に何回かやらせてもらっています。
できるだけ関わろうとは思っているのですが、それよりも家族を優先にしたいので。ある意味、そっち側に家族を置いてまでいくようなことはしないようにストッパーはかかってます。
そうした前提で、自分が関心のあるものには行けるときは行くていう感じですかね。
いま関心のあるテーマは何ですか?
働き方ですね。働いていることの意味とか。それは、男女関係なく。
優先順位が、家族があって仕事なのか。仕事があって家族なのか。生き方とか関わり方が、もう少し自由になれないのかなと。
あと、子どもですね。いま、興味があるのは学習支援。塾ではなくて補習。そういうのだったら、自分にもできるし。
小ちゃい子に教えるのは、好きなんですよ。
FJのネットワークの意味や価値はどう感じますか?
父親というだけでつながれる。上下関係があんまり入り込まない。初めて会っても、FJに入ってる時点で共通認識ができている前提で話しができる。
父親としてどうしたいとか、子どもと関わっていきたいといった共通認識がある仲間がいること自体、ものすごく強いし、楽しいし、うれしいという感じがします。そういうのが数年前までいなかったんですね。
あと、あらゆる刺激を受けます。あっちではあんなことやってるな、みたいな。それも全国規模で。
自分には考えつかないようなこともやっている。チャレンジしている。自分の思考に広がりがもてる。自由になれるんだっていう。
父親としてスイッチが入った瞬間ってありましたか?
生まれた瞬間、パパのスイッチは入っているとは思うんですが、結局何もできていない。
東日本大震災のときですよ。家族を守んなきゃって、強く意識しました。そのときから行動できているので。
長女が2歳ちょいのときに、起こって。やばい。これじゃ守れねえじゃん。なにかあったら。
両親も両方とも遠くで働いていて。子どもを保育園に預けて、ひとりぼっちになってしまうし、ずっと守っていけるって保証はないし。
あの3ヶ月後に辞めたんです。
311と子どもがきっかけになって生き方がシフトした
完璧にそうです。それまでは、なんとなく生きてた。
あそこで変わってなかったら、たぶん変わってない。それ以上って、なかなかないですね。
坪井さんと話しをすると、家族を最優先する生き方に変えた父親としての芯が感じます。東日本大震災後のライフシフトはドラマのようでした。
いくつかの媒体で、坪井パパのインタビューがいくつか載っています。
こちらもご参照いただけましたら。
下の画像は「LIFE SHIFT JAPAN」の記事から転載。
LIFE SHIFT JAPAN
「働き詰めの会社員生活から『兼業主夫』に。家族との時間を大切にする人生へ」
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