タイトルのままですが、逗子の市民活動をテーマにした書籍のインタビューを受けました。
その書籍の執筆者は、いつもお世話になっているN先生とKさん。逗子で活動する数名のインタビュー収録で、私もご指名いただけました。ありがとうございます。
インタビュアーは、ベテラン・フリーライターS氏。逗子歴30年で、私より逗子に詳しい。
小1時間ほど、質問されるがままに答えました。本で掲載されるアウトプットをイメージして話すと決めていたのですが、つい、いつもの癖で、いろんな角度から注釈し、まとめにくい内容だったかもと反省。
ちなみに、アロハシャツは逗子市職員の正装です。
ビーサンはドレスコード違反なので、あしからず。(足だけに)
海がキラキラしていました。
以下、余談。
市民活動と行政の役割について、上手く話せませんでした。その理由の一つが、本テーマにおいて、私が未だ途上の段階であること。市民協働や住民自治に取り組んでいる最中で、十分に消化できていない部分があります。
そして発展途上であることと同義ですが、活動するなかで出会った出来事によって、考え方や捉え方が大きく変わることがあります。自分の考えに変化が起こるのが予測されるので、現時点では確信をもって語ることができません。
おそらく今回のインタビューを、三ヶ月前、半年前、一年前にそれぞれ同じ質問で受けたとしたら、そのときどきで違う内容を語ったように思えます。
「ブレている」と言われれば、その通り。「成長しているんだね」とフィードバックされると有り難いですが、かえって以前の未熟さが際立ちます。
モヤモヤした気持ちはありますが、たとえ途上であったとしても、その時点で自分なりの考え方を整理し、発信すること自体は意味があるはず。そんなことを思っていたら、先日、大学院の授業で
「モヤモヤしたものを整理し、体系化し、言語化するのが学問である」
と、中村陽一先生からレクチャーがありました。なるほど!と膝を打ちました。(・・膝を本当に打ったわけではありません)
そして、次のような話しがありました。(ちょっと違ったかもしれないのですが、私はそう受け止めました)
「ソーシャルデザインの観点でいえば、デザインには、フリーランス・ノマドワーカー的なセンスが求められる一方、社会を動かすには組織・マネジメントの能力が重要。実際の動きのなかで、ノマド的なものと組織マネジメントの相克が起こるなか、最後に肝となるのはマネジメントである」
まさに私がいま、逗子の仕事で私が抱えている課題の核心をつき、目からウロコが落ちました。(・・ウロコが本当に落ちたわけではありません)
話しは飛んで、
上のような事柄について考えていたタイミングで、中原淳先生の「ワークショップ温泉」のコラムを読みました。
以下、網かけ部分は「今日も明日もあさっても、気持ちよくてしょーがない『ワークショップ温泉』にご用心!?」東京大学 中原淳研究室 より引用です。
要するに、「ワークショップ温泉」という言葉の意味するところは、
「ワークショップ・研修に日々参加することが、「温泉」のごとく気持ちよくなってしまい、反面、現場でアクションをとることに、億劫になってしまう状態」
のことでしょう。
「ワークショップ温泉」で、そうしたものを体験しているたびに、人によっては、それが「あまりにも気持ちよくなって」しまう方がでてきます。底冷えがするような「現場」でアクションをとるよりは、ワークショップ温泉で今日も明日もあさっても暖まっていたい、と考えるようになってきます。
逗子市役所以外の仕事で、私は研修講師とカウンセラーとなって「温泉」を提供する側にいます。
クライアントに対し、「セミナー温泉」や「カウンセリング温泉」に気持ちよく浸かっていただくことに心を配り、終了時刻がきたらザザッと洗い流して、明るい気分で現場へ送り出すことを意識しています。
又、そうした仕事を自分はしているのだと、中原先生の投げかけによって言語化することができました。
ワークショップ温泉、たまには、よいのかもしれません。
また、働き過ぎで底冷えを体験している日本の組織で働く人にとっては、温泉につかるくらいが、ちょうどよいのかもしれません
底冷えする現場に長く浸かっていると、身体に毒です。
ワークショップ温泉に入り、デトックスするのもよいと思います。
かくいう私も、現場で底冷え気味。たまには温泉にゆっくり浸かりたいな。
嫌な汗と余計な垢を洗い流し、心身ともにリフレッシュして、
今日から明日から又ガンバルゾ!と前向きになれるワークショップ温泉。
そして又、そんな湯治場を提供できるよう、私も明日からの講師業で顔晴ります。
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