PCを忘れたので黒板で授業したら、アクティブラーニングらしくなった。

大学で授業をするのに、パソコンを忘れてしまいました。

パワーポイントのスライドを用意していたのですが、
仕方がないので、スライドは使わずに黒板で講義しました。

そうしたら、結構いい感じで進めることができました。

スライドを使うと、講師が前もって用意した順番で話し、
コンテンツ中心の進め方になります。

黒板を使うと、講師は話すべき内容は用意しつつも、
学生の反応をみながら臨機応変に進め方を変えることができます。
又、学生のレベルに合わせた話題提供をしやすくなります。

いつもスライドを使いながら参加型の進め方をしていますが、
黒板を使って進めると、より自由度が増して、手応えも高まりました。

学生にたびたび問いかけて、回答によって話す内容を変える。
すると、学生の興味が湧き、集中力が俄然高まりました。

なにより、黒板授業にすると、学生がメモをとる度合いがスライドの授業とは全く違う。

黒板に何か書くと、学生はノートにメモします。小学校から大学生になるまで十数年かけて培われた
「黒板→ノートのマインドセット」があるのですね。

授業の最後は、そのマインドセットを引っくり返す演習をして終えました。

今日の授業は、学生の主体性を上手に引き出すことができました。
アクティブラーニングだった、と自画自賛。

ケガの功名。忘れ物をしたおかげです。

以下、小針誠『アクティブラーニング』(講談社現代新書)より引用。

アクティブラーニングとは、従来の日本の学びスタイルの中心であったパッシブラーニングを「変える」試みとして、それをアクティブにすること、つまりアクティベート(活性化)が提案されているのです。

そのアクティブ(active)には「能動的・主体的」という両方の意味があります。

「能動的・主体的な学習」とは、意欲的に学んだり、積極的に他者や対象に働きかけながら進める学びを指します。「活動的な学習」という意味に注目するならば、教室の内外でおこなわれる体験的な学びや意見の発表など活動をともなう学びを指します。

しかし、アクティブを「能動的・主体的」とみるにせよ、「活動的」とみるにせよ、両者は当然のように結びつけられてきました。つまり、活動的な学びをおこなえば、子どもは能動的・主体的に取り組むことができる、ということです。

裏返して言えば、学び手である子どもの活動をともなわない学びでは、主体的または能動的な学びは期待できないということになります。これは、日本にかぎらず、長らく教育界の常識とされてきた考え方のように思われます。

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