立教大21世紀デザイン研究科のシチズンシップ教育シンポジウムへ。卒業式とも偶々かぶり。

立教大学で興味のあるテーマでシンポジウムがあり、出かけました。桜が咲き始めていました。

偶々だっかのか、卒業式の日でキャンパスが華やかでした。

4月から大学院でお世話になるので、二年後は私もきっと此処で卒業です。

お目当てのシンポジウムは、第5回シチズンシップ教育ミーティング「想像力のスイッチをどう起動させるか?」

この四年間、逗子市の非常勤特別職として「市民協働」を主に活動してきましたが、元々私のテーマは人材育成・教育であったと思い出しました。

大学入試制度改革やアクティブラーニングなど、日本の学校教育が変わろうとしています。

参考で教わったWEBサイト「Find!アクティブラーナー」もあとでじっくり見てみよう。

シンポジウムの中身がどのようであったかも記述したいところなのですが、途中しか参加しておらず、書けません。

遅刻した上(娘たちの習い事送迎を済ませてから家を出ると池袋15時に到着)、中抜け(娘たちの夕食を作るため16時半に学校を出て18時に逗子戻り)で、肝心なところを聞けず。グループセッションあったのに話しもできず。

学校の先生って意外に時間を守らずに喋るのだな・・が唯一の感想だったり。

ともあれ、
亀井先生と中村陽一先生に「4月からよろしく願います!」と挨拶できたので私は満足です。

行き帰りの電車で、なかなか読み進められなかった本を読み通すことができました。
ティール(進化)の概念はまだ理解不十分ですが、学校の変化と相通じるものがありそうです。

ところで、卒業式ということで・・

去年、中村陽一先生の授業で、京都市立芸術大学・鷲田清一学長の式辞を紹介されたのを思い出しました。心の奥に届くスピーチでした。

今年はどのような話しをされたのだろう?と検索すると、出ていました。

以下、京都市立芸術大学WEBサイト「平成29年度学部卒業式並びに大学院学院授与式を開催」より一部引用。

だからわたしはみなさんに対しては「学長」ではなく「応援団長」を名のってきました。入学時にはまだ「原石」でしかなかったその才能を,あなたがたはこの4年間で,ときに深く迷い,ときにもがきながらも,しっかりと磨いてこられました。ですから今日ここで,みなさんのこれまでの研鑽を,「応援団長」として心から祝福したいと思うのです。

ただ,その才能は,あなたがた一人ひとりのものではありません。才能(talent)という語にはよくgifted(「恵まれた」とか「天賦の」)という形容がなされるように,それはあなたがたに贈られたものでもあるのです。「原石」は,それを磨いてくれる人,磨かせてくれる環境,さらにはそれを磨くことに専念させてくれる人びとの支えがあってはじめて輝きを得ます。そういう意味で,贈られたものなのです。

それとともに,「贈られた」ということにはもう一つ,別の意味も含まれています。贈られたものは贈り返されねばならないという,言ってみれば「義務」ないしは「責任」のことです。「義務」や「責任」というと,日本語ではとても堅苦しい感じがしますが,「義務」は英語ではobligation。興味深いことにこの語には「恩義」や「感謝」という意味もあります。たとえば今日わたしがこうしてあるのは誰々のおかげだ,と言うことがありますが,そのときの「誰々に負う」という感じ,その拘束感が「恩義」や「感謝」というものです。ポルトガル語のobligadoも「ありがとう」という感謝の表現です。

そして次に「責任」。日本語では責めを負うといった厳しい意味でありますが,英語ではこれはresponsibilityです。この語を分解するとrespoondとability。つまり誰かの訴えや促しに応じることができる,あるいは応える用意があるということです。もういちど言いますが,才能を贈られた人には,この贈り返すということが「義務」ないしは「責任」としてあるということです。

卒業後,みなさんは,自身で芸術をさらに究めてゆく道を選ばれるにしても,あるいはそれを企画したり,下支えしたりする道に進まれるにしても,その道は果てしなく長いし,迷いや不安もずっとつきまとうことでしょう。でもその迷いや不安のただなかで,じぶんがしたいこと,しようとしていることの再確認とともに,じぶんがじぶんを応援してくれた人びとから何をすべく期待されているかということも一度ならず顧みてほしいのです。

「才能」「義務」「責任」の意味するところを理解できました。この価値観をもつことがとても大事だと思います。

さらに、余談ですが、
鷲田先生の「折々のことば」が、ときに心の支えになっています。

同じく「折々のことば」で紹介された平田オリザさんの言葉が深い。

ディベートは、話す前と後で考えが変わったほうが負け。

ダイアローグは、話す前と後で考えが変わっていなければ意味がない。

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