でこぼこそだて逗子「にこりごはんvol.1」ゆっくりほっこりで好いよね

スクリーンショット 2017-02-07 12.11.33

逗子の盟友・かわしまゆみこさんが新しく始められた「でこぼこそだて逗子」。いろいろな凸凹がある私たちが、ゆるやかに集いながら、ほっこりした場をつくる試みです。

ホームページでの案内文はこちら。

凸凹なわたしたちのコミュニティ

はじめまして。でこぼこそだて逗子です。

ご自身や身近な方の「凸凹な特性」や 周りとの「違い」ゆえに、
なんとなく居場所を探し続けている。

なんだか最近、自分の子育てに自信がない。ぼんやりとした不安。
こんな親で、いいのかな。
自分のそのままを周りに認めてもらえないことで、心がくじけそうになる。

…と、感じている方を対象に、
似たような境遇の方同士のちょっとした息抜きの場を設けたい、
そんな小さな活動です。平たく言えば「お茶会」「ランチ会」です。

発達凸凹さん、知的ゆっくりさん、ダウンさん、肢体不自由さん、LGBTさん、
新米子育て世代。
いろんないろんな「よくやってきた ”わたし” 」たち。

お互いの経験を共有したり、お互いの気持ちに共感できる時間を、
くらしの中に少しでも増やせるといいなと思ってます。よろしくお願いします。

でこぼこそだて逗子
世話人 かわしまゆみこ

Facebookページ「でこぼこそだて逗子」も是非ご参照。

でこぼこ初回のランチ会@くくる食堂に参加しました。レポートが早速、ブログでアップされています。7名参加のうち、パパが4名。パパ率高し!
スクリーンショット 2017-02-07 17.44.13

こちらのブログにあるように、おしゃべりの内容はプライバシーに関わるので触れません。
以下、この会で語ったことではないのですが、ちょっと思ったことを書いてみます。

子育てで凹むことって、よくあります。子育てにコミットしていれば、凹むのは普通のことです。まして、凸凹の特性をもつ子どもの子育ての悩みは深いと思います。私も毎朝、次女の保育園への送りがスムーズにいかなくて凹みます。

そんななか、私自身、子育ては親にとっての修行だと捉えています。修行の中身は「本物の優しさの発揮」。そう捉えているのは、小林正観さんからの教えの影響が大です。
以下、小林正観さん著『楽しい子育て孫そだて』より引用。

「優しさ」と「業」について

「優しさ」とは何でしょうか。
「優しさ」というのは、力の強い立場にある者が、例えば親が強い立場にあって、弱い立場の子供に「権力を行使しない」ということです。

会社でいえば、上司が、部下に対して強い立場にあって、その強さを行使せずに、同じ目線で同じように話す、というのを「優しい」と言います。ですから、「優しい上司」という言い方はしますが、「優しい部下」という言い方はしません。

次に、「業」について考えてみます。
「業」というものは、若い頃、幼い頃、平社員の頃のように、力をもっていないときには出てはこないのですが、それが年を経て強い立場になったときに、突然、弱い立場の者に対して、その力をふるいたくなる。

ある人が、この業を持っているかどうかは、その人を実際に強い立場に立たせてみないとわからないのです。ここが、業というものの、面白くもあり、悲劇的でもあるところです。

(中略)

人が、子供に対して業が深い威張り方をするかどうか、それはその人が圧倒的に強い立場にある親というものを、実際にやってみないとわかりません。

自分を見つめなおしたときに、「優しさ」が出ているでしょうか。
それとも「業」が出ているでしょうか。

子育てで自分が「優しさ」を発揮できているか、親がもつ権力を子どもに行使していないか、いつも気をつけています。

例えば、躾の場面で親は権力をふるいがち。毎朝つい子どもに言ってしまう「早くしなさい!」の叱責は、まさにそう。「早くしなさい!」は「優しい」と私には思えないので、口にしたことがありません。

親として、子どもに躾をしているようでいて、単に子どもを親の思うとおりにしたいだけになっているときがあります。躾という名のもとに、親が子どもをコントロールすることはできればしたくないな。そんなことを念じて修行する日々です。

あ、でこぼこの会を紹介するつもりがズレてきてしまった。かわしまさん、ごめん。

今日は大学に行く前に、栗原類さん著『発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由』を読みました。本書にニューヨークの小学校のサポート体制が紹介されていますが、それに比して日本は凸凹のある子どもにとって(大人も)とかく生きにくい社会です。

IMG_5623

こちらも蛇足で、個人的な考え方にすぎないのですが・・

何か落ち込むことがあって凹んでいたり、悩みごとを抱えている人が目の前にいても、アドバイスは極力しなくていいと思うんです。その人の気持ちを受け止め、がんばっている姿をそのまま認めるだけでよいと。アドバイスはときに相手への押し付けになりがちだから。

かくいう私は、都内の女子大学でキャリアカウンセラーを始めて6年目。これまで千人以上の相談に乗りました。就職や生き方で悩みを抱える学生に対し、彼女たちが知らない情報を伝え、気づいていない視点を付与するのが私の役目です。アドバイスすることもあります。

でも、いくら良いアドバイスをしても、ほぼ9割の学生はアドバイス通りに実行しないと実感します。悩み相談には来ているけれど、実は答えがすでに自分の中にあるケースがほとんど。その答えと違うアドバイスをしてもスルーされます。・・もちろん、その場では行儀よく聞いてくれます。

なので、私はあまりアドバイスをしないカウンセラーだと自認しています。アドバイスが必要なときも、カウンセラーの自己満足にならないように、上から目線で説教臭くならないように自分を戒めています。

でも、アドバイスしないでやり過ごそうとすると、学生から「この役たたず」と冷たい目線を感じることがあります。そのときは「もし私だったら・・」という言い回しで、なんとかカウンセラーらしきことを言うように努力しています。・・こんな風にがんばっている私の姿を、そのまま認めてほしい。アドバイス不要。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA