国際ジェンダー学会の公開シンポジウムで男性学のゆくえを考える。

国際ジェンダー学会2018年大会の公開シンポジウム「男性学/男性性研究のゆくえ」に参加しました。

私が大学院で研究するテーマは「父親育児」で男性学と近しく、うってつけの内容でした。

下画像は国際ジェンダー学会ホームページより転載。

こちらのシンポジウムがあることを、開催前日に萩原なつ子先生から教わりました。2泊3日のゼミ合宿を終えた足で会場の聖心女子大学に向かいました。実行委員長の大槻奈巳先生をはじめ、知り合いが数名いました。

男性学の多賀太先生(関西大学)のお話しを初めてお聞きしました。先生のお名前は、FJ安藤さん、伊藤公雄先生と共に男性の非暴力宣言「ホワイトリボンキャンペーン・ジャパン」の代表理事を務められていることで存じていました。

今回は講演時間が30分少しと短く、さわりの部分だけでしたので、多賀先生のお話しを聞く機会を又得たいと思いました。

つづいて、登壇された澁谷知美先生(東京経済大学)が「ここが信用できない日本の男性学」と題して多賀批判を展開。ご本人を前にしての批判は勇気が必要だったと思いますし、今回にかける澁谷先生の意気込みが伝わりました。

批判の内容は、平山亮『介護する息子たち 男性性の死角とケアのジェンダー分析』による多賀批判を受け、ヘゲモニックな(支配構造のなかで特権をもつ)男性が「生きづらさ」を語ることには慎重であるべき、といった点でした。

介護する息子たち: 男性性の死角とケアのジェンダー分析

澁谷先生の「男性学は特権(女性支配への志向)を放棄すればコスト(生きづらさ)もなくなる」と主張すべき という主張に納得感はありました。ただ私の知識不足があり、理解できていない部分が正直あり。そこで、後半のパネルディスカッションで理解が深まることを期待しました。

しかし、論戦バトルは不調。ほか3名いらしたコメンテーターは論戦に絡まず、多賀先生が防戦一方の展開に。「’男の生きづらさ’という表現は戦略的に使っているわけで・・」とリプライされ、それが本音と思いましたが、議論を避けた形となって平行線をたどりました。

着地点がみえないままシンポジウムは終了し、司会をされた山根純佳先生(実践女子大学)が「会場で消化不良の方がいたと思いますが・・」とまとめられ、その言葉に一番の納得感がありました。

チラシには次のように謳われており、前半の話題提供はありましたが、後半の議論があまりなかったのが勿体なかったです。

男性を問題化する複眼的視点や、男性性の複数性のもとでの男性支配などを踏まえつつ、男子の社会化問題や男性運動の可能性について議論いただきます。フロアのみなさんとの議論をとおして、社会構造の受動的な担い手ではない男性の実践の可視化を試みたいと思います。

私の関心事は「男性運動の可能性」で、澁谷先生のレジュメに「『信用に足る男性学』を構想する」とありました。そことのところを、もっと聞きたかったのでした。

・・会場で質問しようと思いつつ、言葉が整理できなくて手をあげられず。すみません。。

男性学者とジェンダー学者の深い溝(そういうのがあるか分からないのですが)を感じたシンポジウム。いみじくも、多賀先生が「こうした議論は90年代によくあって・・」と言及されたとおりであるならば、この20年間発展がなかったということになるのかな。

もやもやした気持ちを残しつつ、帰途につきました。ただ、もやもやは自分の頭で考える契機になるので悪いことではなく。ほしかった答えは得られなかったけれど、考えるべき視点は掴めたので参加した甲斐はありました。

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