ここは東京大学赤門前。
ファザーリング仲間のしゅうちゃんを誘って、日本社会教育学会の六月集会へ。参加したのは「ワークライフバランス時代における社会教育」のプログラムです。
ワークライフ・主夫の実践者、しゅうちゃんがレポートされていますので、下記を是非ご笑覧くださいませ。
note「日本社会教育学会の報告会にお邪魔しました。
私自身は「ワークライフバランス×社会教育」のテーマに惹きつけられ、これまで何度か本プロジェクトの公開研究会に参加しました。去年は沖縄で開催された日本社会教育学会の研究大会へ報告を聞きに行ったほど。
そして今回の報告を伺いながら、このプロジェクトの目指すところがようやく見えた感がありました。すなわち、ワークライフバランスの普及を狙っているわけではなく、ワークライフバランスという視点を社会教育に持ち込むことで、改めて社会教育のあるべき姿や可能性を問い直す試み。
参考文献で紹介されていた、本プロジェクトリーダーの一人である池谷美衣子さん(東海大学)「労働と生活の分断を乗り越えるための学習-ワークライフバランスから考える」を記述を読んで、大いに納得しました。
以下、手打明敏ほか編『<つながり>の社会教育・生涯学習-持続可能な社会を支える学び』P159より引用。
ワークライフバランス政策では、ライフの具体像として育児が先行して議論されてきた。育児を抱える共働き世帯の多忙さや葛藤は、実に誠実である。ワークライフバランスの重要性を自覚し、労働と生活を両立しようとすればするほど、労働時間を短くするために仕事の生産性をあげ、家事や育児を効率化するという方法にいきつくのは、珍しいことではない。実際に、ワークライフバランスに関する啓発書の多くは、生産性をあげる仕事術や、効率化をはかるための時間術に満ちている。
しかし、果たして、ワークライフバランスの実現は、少しの時間も「無駄」にせず、「余計」な人付き合いを断って、仕事も生活も極限まで効率化することでしかないのだろうか。そのような暮らしを作り出すことが、分断された私たちをつなぎ、個人や社会の幸せや豊かさをもたらすのであろうか。
「分断」が今回提示されたキーワードだったと思いました。
それは、大高先生(明治大学)がワークライフバランスの違和感とそもそも論を問題提起され、報告では「ハンセン病回復者の存在論」が語られたことが象徴していました。
ワークライフバランスは、正社員かつ都市生活者が関心を抱くテーマです。逆にいえば、ワークライフバランスを語るときには、社会的な困難を抱えた人たちが疎外されがちであることを意識化する必要があります。
又、ワークライフバランスの啓発と実践にあたっては、個人化に収斂されない学習のあり方を考える必要があり、それは必然的に社会教育はどうあるべきかを考えることになります。
こうした視座は、企業内でワークライフバランスを論じる際には、まず出てきません。
私自身はワークライフバランスの講演セミナーをする際、ライフ寄りのコンテンツで行うことが多いです。しかし、この研究会で交わされた議論のような、本質に突っ込んだ話しをしたことがありませんでした。
ワークライフバランスを語る際に欠かせない視座を学び、姿勢を保つため、また今後も研究会に参加して勉強しようと思った次第です。
9月13日に早稲田大学で催される研究大会では、中原淳先生が登壇されると教わりました。私も当日の発表でエントリーしたいと考えているところです。
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