FJ理事インタビュー・村上誠さん

次なるFJパパインタビューは、理事の村上誠さん。

村上さんはFJちば代表ほか、孫育て・中高年エンパワメントを目的としたイクジイプロジェクトのリーダー、秘密結社「主夫の友」の総統など様々な役割をこなされています。

職業はグラフィックデザイナー。私も何度か講座のポスター制作を依頼したことがあるのですが、抜群にセンスのいい作品をいつも仕上げてくれて、さすが!と唸らされました。

理事クラスになると、出てくるエピソードや論考が相当に面白かったです。

FJを知ったきっかけは?

妻が先に知ったんです。当時働いていた広告代理店で、ワークライフバランス推進プロジェクトのリーダーになりました。そこで、安藤さん(FJ代表理事)とつながりました。

ベンチャー企業で、妻は出産して職場復帰した第1号。母親が働き続けられる職場にするために、自ら変えなくちゃいけない!と動き出して、会社にプレゼンして通ったんです。

他にもルートがあってFJのことを知り、おもしろそうだし、私も入ろうかなと。

入会した後はいかがでしたか?

入会した当初は、若気の至りなのですが、メーリングリストでガーガー言ってんたです。熱いの入ってきたな!と思われていたんじゃないかな。

ちょうど安藤さんが「次はイクジイだ!」と考えていたタイミングで、私が祖父と同居していることから「イクジイの話しをしようぜ!」とランチに呼び出されて安藤さんと初めて会いました。

その頃、千葉県の案件が増えてきて、千葉を支部化するしないの話しもありました。安藤さんと千葉で活動していたメンバーとの飲み会にも呼び出されて、「千葉どうすんの?」という話題になり。

すでに千葉エリアで活動されていた久留島太郎さんや高橋ひこさんは、「いや大変だよね」と話していました。私も「どうしましょうかね」と言いつつ逃げようと思ったら、帰りの電車でメールが来て「村上さんが代表をやることになりました」と書かれていて(笑)

自分は自由業だし、動けなくはない。やるしかないかー!と思って、やりだしました。

FJネットワークと社会関係資本の関係について、どう思われますか?

ぼくの中では、社会関係資本というと単なるサードプレイスではなくて、何かアクティブに行動したりとか、自他に何か影響があるようなところまでつなげていくものだと捉えています。

ネットワークがあることだけが大事なのではなくて、資本をどう使うかまで含んでの人間関係という気がします。

FJはNPOとして社会活動していますので、何かアクション起こすときに一緒に戦う仲間ですよね。

自分のもってないものを持っている人たちが、メンバーには沢山います。そこを補い合いあいながら、社会に変革をもたらすことができる仲間という感じがします。

FJの仲間とパパ友のちがいは?

パパ友は一緒になにか遊ぶとか、子どもを介してお互いに助け合うという感じです。

FJの仲間はアクションを起こすための人たち。

パパ友で仲の良い人たちもいますけど、FJの密な関係とパパ友では温度感が違います。コミットの仕方がやはり違います。

保育園から小学校ずっと一緒だったパパ友とバーベキューしたり、ホームパーティで肉を食べる会に近所の人を誘ったり。そういうのだと、パパ友という感じです。

パパ・スイッチが入った瞬間はありますか?

きっと、第一子のときです。妻が妊娠3ヶ月だったときに出血があり、前置胎盤と発覚しました。産婦人科をたらい回しされて、最終的に大学病院へ。

その日からドクターストップで、安静にしなくちゃいけない。家で療養しなくちゃいけない。母体も心配。出産は大変なんだ!と思って、自分も勉強し始めました。

出産は帝王切開でした。「30分で出てきます」と言われて安心していたら、三時間経っても出てこないんです。なんだ?なんだ!と不安になりました。

やっと出てきたー!と思ったら、ケースに入ってNICUに連れてかれて。管だらけの息子と、1日何分か、ケースごしにしか会えない状況が何日が続きました。

子どものはかなさと、親なのに何もできない無力さ。父親として子どもを持つの当たり前じゃないし、守らなくちゃいけない存在なんだ!

そこでスイッチ入った感じがしますね。

主夫になったのは、どのような経緯で?

長男が2歳9ヶ月くらいのとき、母が脳出血で急に倒れたんですよ。本当に目の前で倒れて。救急車でぼくと一緒に乗って。

妻は、さっき話したワークライフバランスプロジェクトを始めた頃でした。夜、子ども寝かせた後に妻から呼び出されて、いろいろ言われるわけですよ。どんだけ大変なのか、職場の上司が、子育てが、と。私も解決策を口にしては平行線となり、堂々巡りな話しを毎晩していました。

妻がそういう状況だと子どもにも影響あるし、ぼくもサンドバックされてしんどい。介護もしなくちゃいけないけど、嫁が介護する時代でもない。育児介護で負荷かけても、妻はハッピーではない。

そこで妻の負荷を軽くし、妻が外で輝けるようにした方が精神安静上もいいし、家のことも回る。あるとき、そう気づいたんです。

ぼくがワークダウンして、親の介護と子どものケアをメインでやることにしました。それまでも、子どもの入院でぼくがケアしなきゃいけないときがありましたので。

それで、主夫やるよって。

子育てと介護のダブルケアですね

そうですね。介護の前まで、うちは父も母も働いていました。母は家で美容院を経営していて、私も両親も自営業だったんです。

社会保障として考えたとき、社保を得ているのは妻だけでした。だったら妻の扶養に母と子ども入れる方が、家計のバランスを考えたら良い。控除額が大きくなり、保育料の金額も少なくなる。

妻には社会保障担当で、がんばってもらう。そうやって妻にプレゼンし、納得してもらいました。


FJちば主催のイベント終了後にインタビューしました。

イベント後に、参加者と記念写真をパチリ。孫でも、人さらいでもありません。

インタビューで話されていた平成最後の肉フェス(29日)の様子が、村上さんのFacebookでレポートされていました。

インタビュー前後の雑談では、パートナーの康子さんが行う英語教室のことや、長男くんの進学した中学校の話しを聞きました。

村上家は話題が豊富で、笑っている家族でした。

 

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