ロバート・ライシュ『格差と民主主義』

大学院の「社会デザインとしての市民活動」授業で、NHKドキュメンタリー「みんなのための資本論」を視聴。クリントン政権で労働長官を務めたロバート・ライシュのドキュメンタリー映画がもとになっており、最終講義のスピーチは感動的でした。

この授業では「社会運動」をテーマにイギリスの福祉政策、三井三池闘争、べ平連などの映像を見て、その後にディスカッションし、中村陽一先生の解説で考えを深める展開で行われます。

授業では、前提となる知識がないとディスカッションにならないと痛感することがしばしば。なので、今回の授業の前に、予習でロバート・ライシュ氏の著書を読みました。著作は沢山ありましたが、選んだのは『格差と民主主義』。

著者のイラストが随所に入り、より理解が深まりそうに思えました。

アメリカの社会で格差が広がる様が、データをもとに解説されています。富裕上位1%にGDPの23.5%(2007年)が集中。代わって中間層の年収が低下して購買力が落ち、景気が衰退している。それでも富裕層の献金や企業・業界団体のロビー活動によって、格差を広げる政策が実行されていく。

救いようのない展開に思えてしまうのですが、日本もアメリカに(20年遅れで)追随しているというのが読後の感想でした。日本も中間層であるサラリーマンの年収が増えておらず、低成長とデフレから脱却できません。

ただ、アメリカと日本で違う点があります。アメリカは産業構造の転換に成功して景気が上昇したのに対し、日本は「失われた20年」がいまだ続き、さらには人口減少で市場が縮小して景気の回復が見込めません。どうしたらいいんでしょう。

訳者あとがきに、ライシュ氏の考えを整理した文章がありました。ここにヒントがあると思いました。少し長めの引用です。

変えにくいけれども変えなくてはならない問題にぶつかったとき、私たちはどうするか。

そこから「逃避」したり、それを「否認」したり、無駄だと「冷笑」したり、誰かのせいだと「身代わり」を探したりして、面倒な課題と向き合うことを避けようとする傾向があるとライシュは述べ、ウォール街を占拠して彼らのせいだと怒り狂ってもいけないし、どうせ何をやっても変わるまいと匙を投げてもいけないと語る。

(中略)

みんながそれぞれ自分の問題意識の「繭玉」にこもって、耳に心地よい情報だけをかき集めて悦に入ったり、誰かを身代わりにして日頃の不満を晴らしたりしていては、社会の包摂性も多様性もあったももではない。その間に「不公正なゲーム」がはこびっていることに気づかずに、回ってこないトリクルダウンを待ちつづけて、民主主義が弱体化していくー残念ながらライシュの指摘は日本でも進行しているかもしれない。

(中略)

ネット空間や「繭玉」を呼び出して、反対意見を持つ人や、別の社会的課題に取り組む人々と直接会い、じっくり話し合ってみよと丁寧に背中を押し、いくら使命に燃えても身体を壊すほど無理をしてはいけない、根気強く何十年と続けていくことだと励ます。

このあたりの口調はまさに40年あまりにわたる活動家としての経験の深さと、若い世代の温かさや励ましがにじみ出ていて心を打たれるし、それは本書の随所にちりばめられたライシュ自身の手になる数々のイラストにも表れている。

本書の原題は『Beyond outrage(怒りを乗り越えて)』

社会が悪いと嘆いたところで何も変わらない。前へ進むことだな。

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